いやなことはしない、いやな奴とはつきあわない:これができると幸せになれる

私は、2019年53歳である。
もう若いとは言えないかもしれない。
「何のために生きるのか?」という問いは、おそらく10歳くらいの頃から、
けっこう本気で悩んだりしたわけである。
でもはっきりした答えは出ないまま、就職して、結婚して、子供を育ててきたわけである。
おそらく世の中の99%の人が似たような考えだと思う。
約1年半前に、サラリーマンをやめて、独立したのであるが、
そこでもう一度、
「何のために生きるのか?」ということを真剣に考えた。
というよりも、考えざるをえなかったのだ。
サラリーマンというのは便利なもので、会社が生きる目的を用意してくれるのだ。
毎年目標が設定され、それが達成されれば、給料があがり、達成されなければ下がるのだ。
とてもわかりやすい。給料が上がっている限り、幸せを感じながら、生きていくことができるのだ。
これは決して悪い人生ではないと思う。
最終的なゴールは社長である。社長になれなくても、自分より下の人がたくさんいれば、
けっこう満足できるものだ。
全然悪いことではないと思う。
私はサラリーマンではなくなったので、必然的に新しいゴールが必要になった。
最初は正直、なんだかわからなかった。
少なくとも、サラリーマンの時の年収を超えれば幸せを感じるだろうと思った。
でも、そうじゃないような感覚がとても強かった。
いろいろな出来事があり、ちょうど半年後くらいに結論が出たような気がする。
「素晴らしい世の中をつくろう」というのが結論である。
ボランティアをやろうとか、そういうことではない。
もちろんボランティアは大事なことであると思うが、それをやる前にやるべきことが山のように
あると思う。
きれいごとに聞こえるかもしれないが、そうではない。
特別なことをやろうとは思っていない。
今まで、
「世の中はこういうものなんだ。ちょっと嫌でも我慢しなくちゃいけないんだ。
あの人は横柄だけと逆らってはいけないんだ。本当は社会の役に立たないけど上司の命令だから
やらなきゃいけないんだ。」というように考えていたことを、改めようと思ったのだ。
具体的には、

いやな奴とはつきあわない
いやなことはしない
やりたいことだけをやる
やりたくないことはやらない

である。
おかげさまで、付き合う人がだいぶ減ってしまった。
その代わり、覚悟がしっかりしてきた。
何があっても、受け入れようという覚悟である。
仮に日本人の90%から嫌われたとする。
その代わり、1%から熱狂的な支持を受けたとする。
いろいろな考え方があるが、
100万人の熱狂的な支持者のいる男とみるか、
9000万人から嫌われた男と見るか、
解釈によって、全然違う人生になると思ったのだ。
昔、私は中学で留年し、中学浪人もし、高校に入学した時は18歳だった。
かつての同級生は先輩になり、私は彼らを見返してやろうと思い努力した。
あとになって気づいたのであるが、私を見下していた奴は、
私が大嫌いな奴らである。そんなくだらない奴らのために、私は貴重な人生を
使っていたことに気づき、とても後悔をした。
だったら、自分のことを好きで、自分も好きな人たちとの関係性を重視して生きるほうが
はるかに楽しいと思ったのである。
そういうことに気づくのに、50年以上かかってしまった。
織田信長なら死んでいるわけである。
幸いに、現代は人生100年の時代である。
信長でいえば、25歳だと思えば、まだまだ何とかなると思う。
ちなみに、桶狭間の戦いで、今川義元を破った時の信長は27歳だったので、
そのころである。
全然、余裕である。
気分がのらない日はある。
そんな日は仕事をしない。
もちろん、約束があればそれは守るが、何もなければもうしないようにしている。
気分がのらないというのに、何か理由があるからである。
せっかく、見えない力が教えてくれているのに、それを無視するとロクなことにはならない。
これは経験値である。
私には二人の息子がいる。
長男は高校三年生で17歳、次男は中学一年生で13歳である。
二人には
「やりたいことをやれ。やりたくないことはやるな。楽しいことをやれ。嫌なことをするな」
と言っている。
こっちは、それなりに覚悟をしていっているのであるが、
長男は大学受験勉強をやっており、次男は野球と勉強に燃えている。
「もっと誰もやっていないようなこをやったら?」といっても、
彼らには彼らの意思があるようで、それを尊重しているのである。
特に私が強調しているのは、「やりたくないことをやるな」ということである。
あまりにも低レベルの相手であれば、誤解してしまうこともあるだろうが、
普通の思考回路を持っている人間であれば、
一日中ゲームをやり続けたり、チョコレートを食べ続けたり、はしないわけである。
よく「勉強が嫌い」という子供がいるが、
きちんと状況を把握してみると、勉強が嫌いなのではなく、
指導者に問題があるケースがほとんどである。
この場合の指導者は、たいてい親か教師である。両方に問題がある時は最悪である。(よくある)
この場合、バカ同士がいっしょになって徒党を組むので最悪である。(よくある)
勉強は、衣食住と生活が安定して、その先にやるものであるから、生活が安定していない子供が
勉強などできるわけがないのだ。
 二人の息子は、適度にゲームをやっている。けっこうYouTubeも見ている。長男はヤクルトファンなの
で、けっこう神宮球場や、二軍の試合を見に戸田球場に行っている。次男はこのあいだ、女の子と
ディズニーランドにデートにいっていた。中1でそんなデートをするなんて、私では考えられない。
まあ、楽しく過ごしているように見える。
 中1の息子は、小学4年の時不登校で1年間学校に行かなかった。
人生そういう時もある。私だって、4年間不登校だったわけで、そういう時期は誰にでも起こりうる
ことなのである。それもすべて受け入れる。

 人生にはいいことも、わるいこともない。中1の息子は1年間の不登校があったおかげで、
人生において深い学びを得たのだ。人の痛みをわかる人間になったと思う。
起きた出来事をどのように解釈するかが重要であることに私は気付いた。
 私のゴールは世の中をよくすることである。
例えば、私の二人の息子が、国立大学の医学部を合格し医者になったとする。
二人の息子はエリートで、将来の心配もなく、暮らしていたとする。
ところが、世の中は不況になり、彼らの友人たちのほとんどが失業等で苦しんでいたとする。
その友人たちをみて、「あいつら大変だなあ。あ〜医者でよかった」ともし、息子が思ったのだとすれば、
それはどうしようもないわけである。
息子たちも友人たちも、彼らがどんな仕事しようがしまいが、全員が幸せを感じることができる社会
をつくることができたら、どんなに素敵だろうと私は考えた。
そして無論、彼らの友人というのは、世界中の人々を意味するのだ。
ボーダーレスの時代に、日本国内で完結してすむ事象など何一つもないのだ。
スマホは、米国製、小麦は米国産、肉は豪州産、そして世界中を走っている車は日本製である。
地球全体の人が仲良く協力しないと本当の幸せなんてつくれないのだ。
「そんなの不可能だ」と思う人は多いかもしれない。
でも、考えてみよう。
地球のほとんどの人は、お金という紙切れに(現代では紙切れでさえない)、大きな価値を見出して、
生きているではないか?
そんな大きな幻想に比べてみると、はるかに容易いことだと私は気付いたのだ。
もちろん、そう簡単には実現できないと思う。
一番大事なのは、身の回りからはじめることである。
コペルニクスが「地球が丸い」と言った時、多くの人は笑ったが、今はその笑った人が
笑われているわけである。
そんな感じである。
繰り返すと、世の中をよくすることを意識して、自分のやりたいことをやるということである。
それが、私の人生観なのである。

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