
剛力彩芽は、ZOZOの前沢社長の恋人である。
彼女は迷走していた。
大手プロダクションにいたから、仕事はたくさんあったかもしれないが、
歌がうまいわけでも、演技がうまいわけでも、特別かわいいわけでもなく、
カリスマがあったわけでもない。
そこそこ売れていた、無難なタレントという位置付けである。
いつの時代にも、彼女のようなタレントは存在しては、消えていったわけである。
それを一番感じていたのが彼女自身だったのだ。
あるインタビューで、
「ダンスには自信があります。ありのままを表現できるんです。ダンスをいかした仕事をしたいんです」
というようなことをいっていた。
確かに彼女のダンスはうまいが、誰も彼女にそんなものを要求してはいないのだ。
冬のソナタで有名な、ペヨンジュンは実はものすごい体を鍛えていて、スーパーマッチョなのである。

誰もそんなものは求めていないのであるが、彼にとっては重要なのだと思う。
もしかしたら、彼は日本に来て太ったおばさんたちに手を振るのが心から嫌なのかもしれない。
それを決して口ではいえないから、マッチョで表現したのかもしれない。
「ふざけんな。お前らを相手にするような男じゃねえんだよ。わかったか、ババア。ダイエットして、整形
して、金持って、出直してこい」
と言いたいのかもしれない。同じ男として、なんかよくわかる。
「あなたのことが、好きだから」なんていうわけないのである。
本音では、
「あなたの持っているお金が、好きだから」なのである。
やさしそうな顔をしていても、上昇志向の高いオスなのであるから当然である。
まあそれはさておいて、剛力彩芽である。彼女のダンスは、ランチパックのCMでたった1回だけ披露する
という形で 陽の目を見たのであるが、それっきりである。

別に彼女は心からダンスが好きなわけではないと思う。自分のセールスポイントを必死でアピールする
就職を目指す大学生みたいな気分で、「ダンスが好きなんです」といっていたのだと思う。
必死だったのだと思う。
彼女は何に必死だったのか?
自分の居場所を探すのに必死だったのだと思う。
歌手であれ、女優であれ、タレントであれ、なんであれ、自分の好きなことをやっていれば人間は幸せなの
である。ここが重要なのであるが、自分にふさわしいと多くの人が思っている場所にいくことが幸せではな
いのだ。彼女は取り繕って生きているように感じる。本当にやりたいことがあるのに、それをかくしている
ような匂いがするのだ。おそらく自分が本当にやりたいことが分からなくなっているのだと思う。
金持ちの恋人になって、世界中を旅することは楽しいかもしれない。
彼女を見ても、ちっとも羨ましくみえないのは、彼女が楽しんでいるように見えないからである。
「いままで自分を見下していた人を見返してやる」という感じがするのだ。
これはとてもよろしくない。なぜなら、自分を見下すような人は、自分と関わりをもってはいけない人なの
に、そういうネガティブな人のために、貴重な自分の人生をつかっているからである。
私はこんなシナリオを考えている。
遅かれ早かれ、前澤さんに新しい彼女ができれば、彼女はひとりになる。
そうすると、世間は同情するだろう。
そこから、もし女優として真剣に取り組んだらどうなるか。
今までにない、深い演技ができて、新しい自分が発見できるかもしれない。
すべての成功者は失敗を経験している。
なぜなら、成功の定義とは、失敗からの落差が大きいことだからだ。
生まれた時から大金持ちで、大成功して世界一の金持ちになった人はいない。
ブッダは、王子様とうまれ、王家を捨て出家し、一文無しの身から仏教の教祖になった。
大金持ち(王子様)→出家(超貧乏)→世界一の宗教家
この落差があったから、大成功したのである。
私には、10年後に大女優として君臨する剛力彩芽の姿がみえる。
意外に結婚しちゃったりして。子供ができて、いいお母さんになっちゃうかも。
それはそれで素敵である。
どうでもいいが、どうでもいいものの代表として、
剛力彩芽のダンスと、ペヨンジュンの肉体美があると思う。
がんばれ剛力。