声優は人気職業である。
声優になりたい人はたくさんいるので、専門学校まである。
なぜ、声優になりたいのか?
俳優は映画やテレビに出演するから、ルックスに自信がないとできないが、
声優は声だけなので、その分抵抗が少ないのだ。
もし声優を目指している人で、ルックスに自信があれば、俳優を目指すのであろう。
そうでないから、声優を目指している場合が多いわけである。
もっというと、声優を目指している人は、自分自身を表現したい人である。
その手段のひとつが声優という職業であり、
「これなら自分でもできそうだ」と思ったわけである。
つまり、声優を目指している多くの人は、
自分のルックスに自信はないが、声であればなんとかなると思っている、自分を表現したい人なのである。
別の見方をすると、必ずしも声優でなくても、自分自身をうまく表現できればOKなのである。
でも、声優以外に、自分を表現できそうな仕事が思い浮かばないのである。
言うまでもなく声優は狭き門である。ディズニーアニメに出てくる声優は、著名な俳優がほとんどである。
トイストーリーの主人公は唐沢寿明であり、アナと雪の女王のアナは、神田紗弥加である。
声優という職業は、ただでも狭いのに、さらに俳優の人たちも攻めてくるので、さらに狭き門なわけである。
もちろんそういう競争を勝ち抜いて、人気者になる人もいるだろうが、ごく少数である。
声優になれなかった多くの人は、「夢がかなわなかった」と思うわけである。
果たしてそうであろうか?
私は違うと思う。
彼らの夢は声優になることではないのだ。自分を表現できる場所を見つけることが本当の目的なのである。
それが声優という職業である必要はないのだ。
もしかしたら、メイドカフェなのかもしれないし、ディズニーランドのスタッフなのかもしれない。
どこかの会社の営業マンなのかもしれないし、学校の先生なのかもしれない。
それは状況しだいである。
だいたい、自分が今存在をしっている職業の中から自分の仕事を選ぼうと思うことが間違っていると思う。
極端なことをいえば、中学生くらいの子供がきちんと理解している職業は、学校の教師くらいだけだと思う。
ちょっとテレビドラマで見たくらいで、職業なんて理解できるわけもないのである。
私は若い時に自分のなりたい職業を探すのはあまりよろしくないと思っている。
それよりも大切なことは、嫌なことをやらないということだと思う。
本当に接客が嫌でひとりで自宅でひっそりと働くのが好きな人が無理やり人と交わる必要はない。
社交性なんてなくたっていいわけである。
アメリカナンバーワン作家であるスチーブンキングは、完全な引きこもりである。
でも彼は何百億円も稼いでいる。
全然問題ないというか、そうなってみたいよ。
自分のやりたいことを見つけるのは実はかなり難しいことである。
本当に何がやりたいのか、けっこうわからないものである。
ところが、嫌なことは誰でもわかる。
昔、マクドナルドでバイトをして、一日中ハンバーガーを作っている時、私は本当に苦痛だった。
接客のほうがしたかったが、新人男子は接客禁止なのである。
接客ができる女子が羨ましかった。
だから、このバイトはすぐにやめた。
そのあと、バーでバーテンのバイトをしたが、これはとても楽しかった。
カクテルを覚えて勉強にもなったし、その後の女の子とのデートでも大いに役にたったものである。
話を声優に戻す。
声優を目指すということは、自分を他人に表現し、評価してもらいたいということである。
その手段がなんであれ、あまり関係ないのだ。
とりあえず声優を目指しながら、自分が嫌なことは絶対にやらないようにして、その中で
できることをやっていると、必ず道は見えてくるものである。
何があってもそれでも声優がいいと思うのであれば、それは天命かもしれない。
でもそんな人は、100万人にひとりくらいだろう。
恥ずかしがり屋の人ほど、むしろ接客にむいていたりするものである。
相手の気持ちがよく理解できるからである。
よくすごい饒舌な芸能人が、「中学生のころは引きこもりでした」というのは偶然ではない。
そういう人ほど、自分を表現したい欲求がすごいので、爆発するとすごいことになるのだ。
世の中には、いろいろな人を食い物にして生きている人がたくさんいる。
「声優になりたい」なんていいカモなので、元声優なんかの声優学校なんて死ぬほどあるわけである。
彼らはこちらが金を払ってくれる限りやさしいわけである。
そんなくだらないことに金をかけるなら、もっと別のことに金と時間をかけたほうがいい場合が多いと思う。
何がいいたいかというと、
声優を目指している人の多くは他のことをやったほうがいいと思うのだ。
せめて、俳優を目指せといいたい。
人に見せて本当に恥ずかしいルックスであるなら、武器になるのである。
片桐はいりを見ろ。

彼女は超一流女優である。
もはや、誰も彼をブスとさえ思わない。
「片桐はいり」という一般名詞になっていると思う。
私は傷口をえぐるのが好きなのだ。
というよりも、なにかを隠そうとして生きている人が、その隠そうとしているものや行為が
何も価値がないことに、いつか気づくことを知っているのである。
私もかつてはそうだった。今もそうかもしれない。
隠そうとしていたことを、オープンにしたら、隠していたときよりもはるかに楽になったのだ。
オープンにすると、それまで付き合っていた人の何割かとは付き合わなくなるものである。
それは自然の流れだ。
人はみんな「みにくいあひるのこ」なのである。
「みにくいあひるのこ」は、「白鳥」である。
そして「白鳥」の群れに入ればいいのである。