新興宗教に入信していたことを、よかったと思える昨今:人生に無駄はない


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私は、17歳から22歳までの間、ある新興宗教に入信していた。
最後の3年間は出家していたので、高校の最後の1年と、大学の2年間は教団から学校に通っていた。
今となっては楽しい思い出である。
人生どんな経験でも、マイナスになることなど何一つないのだ。
逆にいえば、いっけんプラスになっているに見える経験でも、マイナスの要素はあるわけである。
私は結果的に大手の広告代理店に入社し、なんだかんだで、約20年間勤務した。
これは多くの人はプラスのことだと思うかもしれない。
新興宗教の入信はマイナスのことだと思うかもしれない。
結論からいうと、どっちも同じである。
いいところも、そうでないところも、同じようにあるわけである。
思い出したくない過去は誰にでもある。
新興宗教に入信していて、「奉仕」という名目で、鳶の現場で働かされていた。
これは搾取されていたと解釈することもできるし、
一方で、普段では決して体験できない貴重な体験をもらったと解釈することもできる。
事実、私の意識に、搾取されていたということは当時も今もない。
あるのは楽しい思い出である。
年末に、お飾りをつくった。(販売用に)
しめ縄、輪飾り、門松などである。
門松をつくるのは難しい。少なくとも私にはできない。
ノコギリで、竹を45度の角度で切るのは技術がいる。そのあと、その切り口を
かんなで削るのであるが、素人にできるものではない。
輪飾りや、しめ縄は、けっこう簡単なのだ。
私にも簡単にできる。
藁をやわらかくするために、水をかけるのであるが、鳶の親方は
口に水を含んで、吹き掛けていた。
あれは、はったりなのか、儀式的なものなのか、いまだによくわからない。
神様はいるのか?
当時は目の前にいる教祖が神様だと信じていたし、彼女の呼称が「神様」だったので、
私はいつも「神様」とよんでいた。
彼女は神様ではなかったが、それに気づくのに数年以上かかってしまった。
まあ、子供だったので、許してもらえると思う。
神様が本当いるかどうかはわからない。
でもこの世の中をつくった人(もの)はいるわけである。
自然発生説はすでに否定されているわけである。
なにかの力がこの世の中をつくったわけである。
自然発生的にビックバンが起きて、突然時間と空間と物質ができたなんて、信じることはできない。
現代の科学でわかろうが、わかるまいが、何かの力でビックバンが起き、
この世が誕生したのだとしたら、そのビックバンを起こした力のことを神というのではないかと
私は解釈している。
世の中は、何かの法則で動いている。
恐竜が絶滅し、猿が人間に進化したとすれば、進化すること、すなわち新しいことをやり続けることが
世の中で生き残る法則なのだと思う。
超短期的にみれば、そのままのほうがいい場合だってあるわけだ。
でも長い目でみれば、遅かれ早かれ駆逐されていくのである。
東京から大阪まで、馬に乗っていくのがベストな時代があったわけである。
このままでいいやと思ったら、車も電車も生まれないわけである。
話を新興宗教に戻す。
新興宗教の教祖には2タイプある。
自分を神だと思っている人と、自分を神だということにしている人である。
その両方だったりもするわけである。
私の信じていた宗教の教祖は前者だったと思う。心から「自分は神だ」と信じていた。
もしからしたら、違うのかもしれないが、そういう風に思わないかぎり信者になる人はいない
のだから愚問なのかもしれない。
最近、幸福の科学の大川隆法の息子が教団を脱退し、暴露話を連発しているが、
大川隆法は後者だといっている。
*大川隆法長男、大川宏洋youtube
https://www.youtube.com/watch?v=atPiVoN6tqo&has_verified=1

ようは演じているといってるのであるが、それはそうなのかもしれないし、
そうでないのかもしれない。
はっきりいって、どっちでもいいと思う。
私の意見はシンプルだ、尊敬に値する宗教家は少なくとも3人いる。
ブッダ
イエスキリスト
マザーテレサ(彼女は宗教家だと思う)
この3人のことは、心から尊敬している。
彼らに共通しているのは、すべてのひとを救おうと努力していたことである。
信じる人を救って、そうでない人はどうでもいいと考えるのは
本当の宗教観ではないと思う。
ありとあらゆる人を救ってこそ、それができるかできないかにかかわらず、
使命を果たせるのだと思う。
まあ、そういう感性を育むことができのに、私が信仰していた教団は大いに役立ったと思う。
ゆえに私はとても感謝している。
本当に私はついていると思う。
様々な出来事があったから、今のような気持ちになれ、そしてたくさんの話ができる。
何もおきなかったら、つまらないではないか。
私が中学校の時に不登校になったきっかけは、クラスメイトの前で
「おれはYさんが好きだ」といってしまったことで、みんなからバカにされ、
恥ずかしくて、行けなくなってしまったのである。
おかげで、中学生で留年し(私立だったので、落とされてしまったのだ)
ついでに中学浪人もして、高校にあがるときは、18歳だった。
でもそのおかげで、女の子に告白する時は人前でやらないほうがいいことを
しっかり学んだので、結婚もできたし、二人の子供もいる。
何が幸いするかわからないというより、十分役立っているのである。
あの時、笑っていたクラスメイトの中の数人は、今日まで恋愛もしたこともなく、結婚することもなく
生きていることを知っている。
長くなったので、この辺で。
また別の文章で書きます。

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