私の結婚式には歴代総理が5人きた。孫さんも。

私の結婚式には歴代総理が五人出席した。
中曽根さん、竹下さん、小渕さん、羽田さん、海部さん、森さん。
すでに3名は故人である。
1998年、3月、ホテルオークラの鳳凰の間で行った。
政財界の大物が大集合という感じだった。
笑ってしまうのが、ソフトバンクの孫正義社長が末席だったのだ。
当時、孫さんは40代前半で、財界の重鎮の中ではダントツで若かったからだ。
年功序列の世界なのである。(今は違う)
私の父は有名人だった。
世間的にはそうでもないが、上場企業の経営者で私の父を知らない人は存在しなかった。
フィクサーだったのだ。
令和の時代に、そういう肩書きで公に仕事をしている人はいない。
なぜなら、様々な法律が変わり、仕事ができなくなったからだ。
政治資金規正法などが大きくかかわっている。
山崎豊子の沈まぬ太陽会長篇は父の話でもある。

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簡単にいうと、飛行機会社の会長を連れてきたのが私の父、佐藤正忠である。
私の父は、鐘紡の伊藤淳二を若い時から知っていた。
彼が組合の委員長だったころからの知り合いである。そして組合の委員長から、彼は
鐘紡の社長になるのである。この話は、作家の城山三郎が、
役員室午後三時という小説で書いているが、それよりも前に、私の父が
「人生何に賭けるか」、というタイトルで実録として出版している。

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父、正忠は波乱万丈の人生を歩んだ人だった。
易者として全国を放浪していたこともある。宗教家としての側面もある。経営評論家として多くの本も執筆
している。経済界という雑誌社も経営していた。大病に倒れ、50歳を過ぎてからは左半身不随だった。
衆議院選挙に出て、落選し、選挙違反で投獄され、公民権剥奪10年の判決をもらったこともある。(執行は猶予された)まあ激しい人だった。
それでも憎めないところがあって、とてもチャーミングで魅力的な人だった。
父が20代の時に書いた書籍があり、その中にこういうくだりがある。
「部落民という理由で、結婚を反対されているカップルがいた。私はその両親に会い、説得し二人が
結婚できるように強くお願いし、了承してもらった。今の世の中は、そういういわれなき差別が横行してお
り、いつかそういう差別のない世界をつくれるように我々は努力していかなければならない」
なんか本質的にはそういう人なのである。私の父という人は。
でも時間が経ち、社会的地位が高くなり、歳をとってくると、からなずしもそういう部分は
目立たなくなっていくものである。
私は若いころ、父を好きではなかった。
でも、今は好きである。本当の彼のよさがだんだんわかってきたからである。
高杉良という作家が父について書いた「濁流」という小説がある。
これを読むと、どれだけひどい男なんだと思うが、実態は全くちがう。高杉氏は一度も父に会ってもいない
し、取材もしていないのだ。単に第三者から聞いた話をもとに書いたのである。
「会いたい」といえば決して父は拒まない。全然別の話であるが、ある事件で朝日新聞の取材が来た時に、
父は隠れもせずに若い記者と面談したものである。たしか数回あったはずだ。
父の話を書くと、一冊の本になるので、それはそのうち執筆するつもりだ。

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