鳩の鳴き声をずっと認識できなかった(ぽっぽーとは鳴かないだろう?)


鳩の鳴き声は、「ポッポー」ということになっている。
でも、どう聞いても、「ポッポー」とは聞こえない。
あえていえば、
「グルッグー」くらいであろうか?
子供のころの夏の朝、まどから「グルッグー、グルッグー」という鳴き声が聞こえてきて、
「これはいったい何の音だろう?」と真剣に悩んだものである。
表現できなから、親に聞くこともできずに、なんかわからないままにやり過ごしてしまった。
正直なことろ、それが鳩の鳴き声だと知ったのは、20歳くらいだったような気がする。
まあ、真剣に悩んでいたわけではないので、
どうでもいいと思っていたので、やり過ごしていたのだ。
そういうことって、けっこうある。
サンタクロースの歌で、
「真っ赤なお鼻のトナカイさんはいつもみんなの人気者。 でもその時のクリスマスの日・・・・」
とあるが、私はごく最近まで
でもその時=デモッソの時
と誤解していたのだ。
なんかキリスト教の宗教行事に、そういうものがあるのだろうと勝手に思っていたのだ。
ある時、NHKのお母さんといっしょをみていたら、この歌の字幕が出て、
「でもその時」だということに、ようやく気づいたのである。
話を鳩の鳴き声に戻す。
鳩の鳴き声を理解していてもしなくても、人生にはほとんど影響がない。
むしろ知らなかったがゆえに、こういう話もできるわけで、むしろ知らなくてよかったような気がする。
世の中には、様々なことがあるから、すべてのことを理解することは絶対に不可能である。
私などは、自分でいうのも何であるが、一般のひとよりはまあ知識が多いほうだと思う。
でも、全然知らないことだらけで、日々勉強しているわけである。
最近ようやく、アドベプレミアプロという動画編集ソフトを使いこなせるようになってきた。
でも、イラストレーターとか、フォトショップはまだできない。
もし時間ができたら、ギターを弾いてみたいし、アルフィーの高見沢のように弾けたら本当にかっこいいと思う。
何がいいいのかというと、世の中にはどうでもいいことと、そうではないことがあるのだ。
昨日までどうでもいいことが、明日はそうでなくなることはよくある。
広告代理店の営業をやっていた時、突然生命保険の担当になった。
まったく興味なかったのであるが、すぐにけっこう詳しくなってしまった。
必要にせまられた時にやれば、十分に間に合うのだ。
でもまったく関係ないと思っていたことに、突然興味をもってしまうことがある。
一見、何の役にもたたないことのように思えても、それには意味があるのだ。
その意味を探す旅が、人生なのだと思う。結構マジにそう思っている。

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