8浪して医学部に受からなかった医者の息子:人生とは幸せとは

高校時代のクラスメイトのTは地元でも有名な病院の息子だった。

父親は国立大学の講師もしている有名な医者だった。

親の方針で、

「国立大学の医学部以外に進学することはだめで、医者以外の選択肢もない」と

自分でいっていた。

この時代、(1980年代)私立の医学部の偏差値は高くなかった。

偏差値50以下の大学もざらにあり、高い授業料さえ支払えれば、がんばれば

誰でも合格できるような状況だったのだ。

私たちの学校は当時の偏差値が45くらいだった。

英語と数学はすべて成績順でクラス分けがされており、

Tは両方とも、Fクラスだった。全部で6段階なので最下位である。

正直なところ、このクラスで低迷している連中に進学できる大学はほとんど存在していなかった。

2019年とは受験状況がまったく異なるのだ。

大学志望者数と、受け入れる学校数に大きな差があった時代である。

私は彼とは仲が良く、けっこう話をした。

勉強はできない奴だったが、それ以上に高校生としての常識を持っていない奴だった。

私たちの高校は、元旦に登校する伝統があった。(いまは廃止されたらしい)

まあ正月気分に浮かれていないで、勉強しろという意味だと思う。

我が校の制服は青色の詰襟であったが、当日彼はズボンは青色で黒い色の上着を着てきたのだ。

理由を聞いてみると、

「お母さんがクリーニングに出してしまったので、違う高校に通っている弟の制服を借りてきた」とのことだった。

私ならば、上着を着ないで、セーターだけを着てくるか等の対応をしたと思うが、

「お母さんにそうしろ」といわれたといっていた。高校2年の時である。

朝礼が体育館であり、そこに全校生徒が集まった。

どう考えても、上着の色が違うやつが一人いると目立つわけである。

私たちのひとつ上の上級生は、我々よりもはるかに偏差値の低い世代である。

当時新設8年目だったから、そんなものである。

そうしたら、3年のほうがざわついて、なにか叫びはじめるやつがいた。

「おい、そこによそものがいるぞ?」「あたまいかれてるんじゃねえか?」「ここはお前のくるところじゃねえぞ」

とか言いだした。まあ元旦から学校に来させられて機嫌も悪かったのだと思う。

そのうち、

「かえれ~」「かえれ~」と叫び始めたのだ。

そして最後には、全員で手拍子をしながら、「カ・エ・レ、カ・エ・レ!」の大合唱である。

先生も止めに入ったが、

その時Tは、号泣していた。

泣き方は、幼稚園児が友達とけんかをした時のような感じだった。

生徒たちは大笑いをしていたが、私は笑えなかった。(2歳年上だし)

それでも彼は彼なりに一生懸命勉強していて、

最初は英語も数学もFFであったが、卒業するときにはDくらいまでにあがっていた。

無論大学受験はすべて落ちていた。

それから数年がたち、私は社会人になっていた。

私は大学生時代にこの学校で教育実習をやったので、先生たちとも仲がよく、たまに学校にいったりしていたのだ。

親しい先生から、

「ようやくTが大学に合格したよ。M大学の工学部だ。医学部は結局受からなかったけど、ここに行くかどうかは分からない」

という話だった。8浪目だった。

なんにしても国立大学に合格するって、すごいことだと思う。医師になれなくても、いくらでも道はあるわけで、

もし彼が自分の意思で、医学部ではない学部を受けたのだとすれば、

それは素晴らしいことだと思う。

一方で、親のエゴで、そういう高いハードルを設定し、素直で純粋な子供を操っていた親を許すことはできない。

この病院は結局数多くの医療ミス事件を起こし、廃業していまい、その時点では存在していなかった。
(週刊文春に書かれた記事を読んだ)

もう一生彼には会わないと思うが、幸せになっていてもらいたいものである。

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