
能勢慶子というアイドルがいた。
ホリプロスカウトキャラバン第3回優勝者である。1978年デビューだ。
第1回が、榊原郁恵だから、その期待の大きさもわかると思う。
天真爛漫なかわいさ、という感じである。
特徴といえば、信じられないほどの音痴である。
デビュー曲の、「アテンションプリーズ」を聞いた時は衝撃だった。
「こんなレベルでも歌手になれるんだ」とびっくりしたのを思い出す。
https://www.youtube.com/watch?v=nLOLDLZSOp8
でもホリプロは全く間違っていない。
とにかく可愛いし、スタイルもいい。
アイドルに歌唱力はいらない。(持論)
私は大好きになり、大ファンになったからだ。歌の下手さも、「なんか守ってあげて、応援したい」と思えるような
感じだったのだ。
当然、このレコードを購入し毎日聞いていた。
B面の「フラワーバスステーション」を今でも歌えるほどである。
驚きなのは
彼女は、歌唱力もなかったが、演技力はそれ以上になかったのである。
柴田恭兵と共演した「赤い嵐」というドラマに主演したのであるが、
すごい演技を見せてくれたのである。
舞台俳優である柴田恭兵の、濃い演技とも噛み合わっていなかった。
というよりも、単に下手なのだ。
下手なのに、一生懸命やっているから、よけいに変なのである。

「マコトさん」というセリフは、当時もし流行語大賞があれば、ノミネートされていただろう。
彼女は、このドラマが終わってから間も無く、芸能界から忽然と姿を消す。
理由おそらく、本人とプロダクションが限界を感じたのだろう。
「歌も下手で、演技も下手で、かわいいだけ」とかいわれたら、心が折れるのは当然だ。
十代の少女がどれだけ心に傷を負ってしまったのか、いま考えると本当に心が痛む。
誰にも知られずに、彼女は芸能界から消えたのである。
やめたというニュースさえなかった。
そして、数年が経過し、いろいろあって、私は不登校になって
自宅でゴロゴロしていた。
日中の11時半ごろにやっている「あの人は今」という番組に能勢慶子が出演していたのだ。
ビデオデッキなど普及していない時代である。VHSのデッキが安いモデルで40万円くらいで、
VHSのテープは1本2000円くらいしていたころである。
1983年ごろである。
私がこの番組を見ていたのは偶然ではない。
当時、不登校で、朝から晩まですべてのチャンネルをぐるぐる回しながら1日中テレビをみていたので、
見逃すはずがないのである。
このころのテレビは、ボタンではなく、チャンネルだったから、本当にぐるぐる回していたのである。

自慢ではないが、ありとあらゆる番組を見ていたのだ。
話を能勢慶子に戻す。
彼女はアイドル当時の面影はかけらもなく、キリッとした顔立ちで、タバコを吸っていた。
こんな感じである。(イメージ)

ナレーションはこんな感じだった。
「元歌手の能勢慶子さんは、今は湯島天神で伝統を守るために太鼓を叩いています・・・・」
人間はこれほど変わるのだと思いびっくりした。全くの別人であった。あの、ニコニコ笑っていた能勢慶子は
なんだったのだろう。それを見て、胸をときめかせていた私はなんだったのだ。
声は2オクターブくらい低くなっていた。
彼女をみて能勢慶子とわかるひとは皆無だろう。
デーモン閣下の素顔をみて、本人だと言い当てるより難しいと思う。

おそらく彼女は意識的に、昔の自分を消し去ろうとしていたのだと思う。
かなり意図的に、昔と違い自分を演じていたのだと思う。
番組は、淡々と進行する、「NHKの街角のみなさんこんにちは」みたいな感じだったので、
特に抑揚もなく10分弱の番組はあっさりと終わってしまった。
その後、能勢慶子に関する新しい情報を見たことはない。
ネットで見たら結婚して子供がいるそうだ。(なんかうれしい)
むしろ、この番組自体が伝説的に語られているが、動画も存在していないようだし、
実際にリアルタイムで見た人は、そんなにいないと思う。(いるわけがない)
だって、仕事をしていたり、学校にいっていたら、見れない時間に放送していたのだから。
私はそのころ、伊藤つかさが好きだった。
「つかさちゃんはそんなことはないよね」と思っていた。
懲りないやつである。(俺)
