有吉の元相棒、森脇。2人の違いは、生きる目的の違いである。

芸能人(芸人)タレント


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有吉弘行は押しも押されぬメジャータレントである。
誰も元猿岩石なんていわない。
当時よりもはるかに安定感のある大御所になったいるからである。
猿岩石の時には、まったく並列に存在していた相方の森脇和成は、
タレントをやったり、ホストをやったり、会社をつくったり、またタレントをやったりしている。
全く腰が定まっていないわけである。
もうどうしようもないくらい、二人の距離は離れてしまっている。
とても興味深い事例である。
結論からいうと、
有吉には「芸人として売れたい」という意思がはっきりとあったということである。
猿岩石はお笑いではない。どちらかといえば、アイドル的な人気である。
有吉はお笑い芸人として売れたいというはっきりとした目標があったのだ。
そして、それを達成したのである。
一方の森脇は、「売れれば、儲かるのなら、なんでもいい」という感じである。
てっとり早く稼ぐことができれば何でもいい。
自分のネームバリューを利用するのも全く問題ない。
というよりも、このネームバリューをいかして何とかならないかと思っていたのだと思う。
ネームバリューは重要だと思うかもしれないが、実はたいして役に立たないものである。
ビートたけしの娘の北野井子が20年くらい前にエイベックスからデビューしてテレビCMにも
出ていたが、今は影も形もない。
明石家さんまの娘のIMARUちゃんは、今でもテレビに出ているが、さんまの娘というよりも、
立派なタレントとして出ているわけである。(無論、多少は七光りはあると思う)
船に例えると、出航する時に、ちょっと押してもらえるくらいのものであり、
そのあとに、しっかりと自分でオールを漕がなければ船はすぐにとまってしまうような
ものである。
人間には生きるための目的が必要なのである。
何のために生きるのか、無意識であっても、意識的であっても、

どちらでも構わないが、それがないと何もうまくいかないのである。
正しいとか、間違っているとかは関係ないのだ。
なんとなく生きるということは目的にはならない。
なんとなく贅沢したいというのもダメである。
心の底から日本一の金持ちになり贅沢をしたいと思うのであれば、それは問題ない。
立派な目標である。
「自分を馬鹿にしていたやつを見返してやりたい」でもいい。
でも、なんとなく〜というのは目標ではないのだ。
森脇には人生の目的がないのだ。
もしかしたら、1回人気もになって、紅白歌合戦にも出場したから、それで十分満足しているのかもしれない。
人間は目的がないと生きていけない生き物である。
ある程度若いのに、生きる目的がなくなると、けっこう辛い人生になってしまうのである。
人生の目的は、湧き上がってくるものでないとダメなのだ。
いくら自分にふさわしい目標だと他人が思っても、自分自身がそう思わなければ意味がないのである。
マイケルジョーダンはバスケの神様といわれているが、全盛時代に突然引退し、プロ野球に挑戦したこと
があった。多くの人は「何をやってるんだ」と思ったが、結局すぐにやめて、何事もなかったように、
またバスケの神様として活躍していた。
彼のように自由に自分のやりたいことをやり続けていることが幸せな人生なのである。
他人の評価などどうでもいいのだ。
自分がやりたいと思ってやっていることなら何でもいいのだ。
森脇は違うと思う。自分の好きなことをやっているというよりは、やらされているような感じである。
やらされているのと、やっているのは、同じように見えても天と地ほども違うのである。
自分のやりたくないことをやって成功しても虚しいものである。
やりたいことをやって、失敗しても、それは次への糧になるだけである。
挑戦をしないかぎり失敗はしないわけであり、失敗は挑戦者の勲章なのである。
胸にたくさんの勲章をつている人を、成功者と呼ぶのである。

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