なぜ、受験勉強をするのか?(高三の息子へ向けたメッセージ)読んでくれ

楽しく生きるコツ


受験勉強について。
私自身はそれなりに受験勉強をやったが、それほど偏差値の高い大学には受からなかった。
私はそれを挫折であると考えていた。
東大医学部を頂点に、偏差値は設定されているわけである。
いわば、東大医学部に合格した人間が勝者である。
そして、そこから順番がつけらえていくのだ。
地頭のよさというものは存在する。
受験向きの頭脳を持っている人も存在する。
受験勉強に向いているか否かは、遺伝的なものだったり、環境だったりするわけである。

お腹がいっぱいの時に、ごはんが食べれないのが普通なように、
勉強したくない時には、勉強したくない理由があるのだ。
それが何であるのか?
やりたくない時には、やらないほうがいいというか、やってはダメだと思う。
ゴロゴロしていたいのだとすれば、そのほうがいい。
自分自身のことを客観的に理解することは、実は結構難しい。
わからないものである。
自分が本当に何をしたいのか、正確に理解している人は少ないものである。
テレビでアイドル歌手をみて、「私もアイドルになりたい」と思う子供は
本当にアイドルになりたいのだろうか?
なかにはそういう子供もいるとは思う。
でも、大部分のこどもは、「自分の中のモヤモヤをこういう風にアイドルになれたら
解決できるんじゃないかな」と思うのだと思う。
少ない自分の経験値のなかで、はじめて知ったソリューションの一つがアイドルだっただけなのである。
そして、アイドルになるための方法を調べたり、練習したりしているうちに、
様々な選択肢があることに気づいていく。
「もしかしたら、私はアイドルよりも、作曲家のほうが向いているかもしれない」
「もしかしたら、裏方のマネージャーのほうがむいているかもしれない」
「もしかしたら、プロダクションを経営するほうが向いているかもしれない」
「もしかしたら、会社員のほうがむいているかもしれない」
そして、そういう様々な選択肢のなかから、自分のやれること、やりたいことを探していくのである。

受験勉強も同じである。
そもそも勉強しなければ、大学に入れないわけで、自分の目標になりそうな学校・学部を目指して
勉強するわけである。
でも、勉強しながら気づくわけである。
「勉強しても自分がやりたいことができるのだろうか?」
「この受験勉強をやり続けていいのだろうか?」
これは至極正常である。その通りなのだ。受験勉強をしたからといって、自分が本当にやりたいことを
できる保証などないのだ。というよりも、自分のやりたいことが何だかわからないのだから。
つまり、受験勉強に身が入らないという子供はとても正常でまともな人間であるわけだ。
そこで一回、勉強をやめるという選択肢もいいと思う。
かりに、勉強をやめると、何をしていいのかわからないだろう。
とても不安である。
しばらくすると、仕方なく勉強をするかもしれない。
多くの親はこう思う、「とにかく大学くらい卒業してほしい」でもそれは、親のエゴである。
田中将大は大学に進学しないでプロ野球選手になり、日本人として史上最高額の年俸を手にした。
斎藤佑樹は大学に進学し、プロ野球選手になり、成功したとは誰も思ってはいない。

これは極端な話ではなく、よくある話なのである。
でも一方で、幸せなのは田中なのか斎藤なのかは誰にもわからないのだ。
メジャーリーガーだった伊良部秀輝は40くらいの若さで自殺してしまった。
おそらく彼はそんなに幸せではなかったのだろう。

何が言いたいのかというと、自分にとっての幸せは何かと思い模索して、動き続け、
その結果が受験勉強だと思い全力をかけるのもいいし、
全く違うことをやるのでもいい。
何か行動をして、模索し続けることに意味があるのである。
受験とは、模索するためのきっかけなのだ。
一番よくないのは、考え続けるだけで、行動に移さないことである。
勉強でも何でもいいからやることだ。
やれば何らかの結果が出る。その結果をみて、次の行動をするのだ。その繰り返しを続けていけば、
必ずすばらしい結果がでるものである。
伊集院光という芸人がいる。彼は高校を中退し大検を受け、明治大学に合格した。
でも明治大学を中退し、芸人になって、現在テレビを中心に活躍している。
彼は、卒業ベースでいえば、中卒であるが、明治大学に入学しているのだからけっこうな偏差値エリートである。
すばらしい人生である。
かっこいいと思う。

受験勉強というものは、多くの子供にとって、最初の試練になるものである。
うまくいかなくても、うまくいったとしても、
いずれにしても体験としてとても貴重なものになるのだ。

私の息子は高校三年生で、受験勉強に苦しんでいるようだ。
自宅にあった、PS4を友人に預け、ゲームをやらないようにしている。
私からみると
「そんなに勉強がいやならやめればいいのに」と思うのであるが、本人は
受験をやりたいようである。だったらやればいいのだ。
やめたくなったら、やめればいいのだ。
親として、思うのは、ここまで大きくなったら、親の役割は見守ることだと思う。
聞かれたら答えるが、こっちからは何もいわないようにしている。
できるだけのサポートはするが、道を探すのも判断するのも、自分がやらないといけないと思う。
これはこれでけっこう難しいが、それしかないことを私は知っている。
もちろん大きく道を踏み外すようなことをすれば、助けなければいけない。
でもそういう状況ではない。
2〜3年浪人してもいいと思う。私は4年間不登校だったし、次男は1年間不登校だった。
長男もそういう時期があってもいいと私は考えている。
なければそれにこしたことはないが。
人生はとても楽しいものである。それは辛いと感じる時期があるからで、ずっと楽しければ
楽しいとは感じないものである。
貧乏だと金持ちになって嬉しいわけで、もてないから、もてた時にうれしいのだ。
受験がうまくいかないということは、楽しい人生のスタートなのだと思う。

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