男の勲章:高校時代の不良クラスメイトは才能溢れた男だった

ちょっと笑える話

私の高校の偏差値は高くなく、かといって進学校でもあったのである。
「息子は少しバカだけど学校の力でなんとかしてほしい」という親の要望に応えるための学校だったのだ。
世の中にはいろいろなニーズがあり、そのためのソリューションがあるのだ。
近くにあった県立のK高校と私の高校の偏差値は同じくらいだった。(県内で最低)
向こうは共学だから、同じバカ校でも楽しそうにやっていて、羨ましかった。
でも同じような偏差値でも、我々の学校はスパルタで勉強をやらされるので、
90%くらいはどこかの大学か専門学校に行くのであるが、
向こうはほとんどが就職するのであった。
まあ、どっちがいいのか微妙である。

そういうわけで、私の学校に入学して喜んでいる生徒は皆無だった。(当時)
まあ、そうである。男だらけで、校則は厳しく、楽しいことなど予想できない3年間だ。
喜ぶやつがいるとすれば、マゾのホモくらいだろう。(けっこういたのかもしれない)
クラスメイトのKは本物の不良だった。親はどこかの中学の校長である。

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教員の子供は、超真面目か不良のいずれかである。
中間がいないのが特徴だ。
Kは学校では先生によって態度を変えていた。怖そうな先生の前では無言だったが、
舐めても大丈夫そうは先生の前では自由に振舞っていた。
まあ、私にしても同様であった。
Kはあだ名をつけるのがうまかった。
脂性(あぶらしょう)のデブを、「お前はベトベトしているからベトちゃん」いかつい獅子舞みたいな顔をしているやつに向かって
「お前はドクドクしいからドクちゃん。二人合わせてベトちゃんと、ドクちゃん」と呼んでいた。

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当時、ベトナムの結合双生児の「ベトちゃん、ドクちゃん」にかけていたのである。
すごいセンスだと思った。
アイパーを当てて、剃り込みをいれているAには、「なんだその髪型。板前みたいだなあ。お前の彼女は中2なんだよな。
ロリコンで板前だから、ロリ板(いた)だな。」

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Aは実は本当にロリコンで、当時書店で普通に売っていたロリコン雑誌を愛読していた。
「トマト」という雑誌だったのであるが、ある日、教室の黒板に、
「ロリ板、トマトで三発宣言」とイラスト付きで書いてあった。Kが書いたのだ。Kは不良なのに
絵がとてもうまかったし、コピーライターとしても才能があったと思う。
地頭(じあたま)はかなりよかったと思う。

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私はなんて呼ばれていたかというと、「パパ」である。
中学で留年して中学浪人したので、みなさんより2歳上で、高校三年の時には成人していたからだ。
「パピィ」とかいわれていた。
いじられても、怒ったりはしなかった。怖かったからである。
「こいつらに関わったらロクなことにはならない」
というのを肌で感じていたのだ。

Kはサーフィンもやっていて、湘南にもよくいっていたようだった。
自宅は戸塚の方だった。
「鵠沼海岸の足引っ張りババア」という話をしてくれたことがある。
「俺の友達が彼女と二人で鵠沼海岸でサーフィンをしていて、彼女がビデオで撮影をしていたら、突然
そいつが海の底に沈んでいったんだって。彼女はビデオを回しながらわけがわからなくて、
助けを呼びにいったら、結局そいつは溺れて死んだんだ。後でそのビデオを再生したら、
海の中からおばあさんが、そいつの足を引っ張っているところがはっきりと映っていて、
テレビ局にそのテープを持って行ってしばらくしたら、
「これは放送できません」といわれて戻ってきたんだって。今でもそのテープは、その女が持っているんだ」

(信じるか、信じないかは、あなた次第です。)

ちなみにKは中学の校長先生の父親にいわれて「お前も教員になれ」といわれて、
教育学部のある大学に進学した。
今、何をやっているのか、全くしらない。
教員になったとしたら、いい先生になっていると思う。
私の知る限り、不良にバカはいない。
不良はそれなりに、人間関係を乗り越えてきていて、修羅場も経験しているので、
人間として成長しているからだと思う。
一言でいえば経験値の差である。
人生に無駄なことは何もないのだ。本を読んで、「これはやってはいけない」と思うのと、
実際にそれをやってみて、「やっぱりこれはいけない」と思うことは、
全く意味が異なるのだ。経験して身についたものは、体にしみつくのだ。

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