どこまでが地球なのか、どこまでが車なのか:人生観、世界平和の考え方

楽しく生きるコツ


我々は地球という星にいる。

砂も、石も、虫も、魚も、人間も地球の一部である。

仮に地球の真ん中で、大きな水爆を爆発させれば地球はバラバラになるだろう。

それはもう、地球ではなくなってしまう。

自動車は、様々な部品の集合体である。

ハンドルを外した車は、やっぱり車であるが、胴体を半分に切ってしまったら

もう車とは呼べないわけである。

どこまでが、車で、どこからか部品なのかの定義は存在しないのだ。

例えば、火星に向けて発射したロケットがあったとする。

そのロケットが地球を離れた瞬間に地球の一部でなくなるのか、

それとも地球の一部のままなのかは議論があるだろう。

人間は腕が切り落とされても、人間である。

でも、切り落とされた腕は、もう人間ではない。

ところが、その腕がまた手術でつながったら、人間に戻るのである。

すべての人はどこかでつながっている。

アメリカ人もアフリカ人も日本人もどこかでつながっている。

比較的近い人が親戚であり、それ以外は他人ということになっている。

日本人でいえば、100代くらいさかのぼると、全員どこかでつながっているという。

それはそう思う。

我々人間は全員が地球誕生以来続いている命なのである。

最初の生物が、仮にあるバクテリアだとすれば、この地球にいるすべての生き物はその子孫なのである。

突然どこかで、生まれたわけではないのである。

そう考えると、親戚だとか、同じ国民だとか、同じ人種だとか、

そんなに意味がないものであることがわかる。

すべての存在が、協力して、この地球を動かしているのである。

ゆえに、我々が生きる目的は、この地球を最適に動かすことなのである。

人によって、最適の解釈は変わるかもしれないが、

できるだけ長く、安定的に、多くの存在が快適に過ごせる状況を維持することだと思う。

そういう視点で、物事をみることが重要だと思っている。

別に、きれいごとをいうつもりもない。

何かを我慢する気もない。

すべての人が「しあわせだ」と感じることのできる社会がつくれたらいいと思う。

難しいとは思うが、

紙切れに「お金」と名付け、それが世の中で最も価値のあるものだと、ほとんどの人に信じ込ませるよりは

簡単な気がする。

タイトルとURLをコピーしました