25歳の時に、車で大事故を起こし、死ななかった思い出

笑える笑えない話

若気のいたり

まさに若気の至りである。

25歳のころ、東名高速で大雨で50キロの速度制限のなか、100キロ以上で

突っ走り、目の前を走るベンツを煽り、スピンして中央分離帯に突っ込んでしまった。

生きている方が奇跡だったと思う。

まあ、本当にバカだった。それ以来、運転はおとなしくなった。(当たり前である)

車はスカイラインGTS、当時では珍しいABSがついていた:過信

令和の現代では、ABS(アンチロックブレーキングシステム)は標準で装備

されている車ばかりであるが、当時では珍しかったのである。

ABSは簡単にいえば、ブレーキを踏み込んでも、車が機械的に制御してくれて、

連続して踏んだり、離したりをしてくれるシステムなのである。

雪山とかで、滑ってしまのを防いでくれるシステムで、

はっきりいえば、大雨の中であんまり関係ないシステムなのである。

私は、よく理解していなかったので、「とにかく大丈夫なんだろう」

くらいに思っていたのである。無知は怖い。

それで、大雨のなか、50キロ規制だったにもかかわらず、

100キロ以上で飛ばしていたのである。

30年近く昔の話であるが、最速で150キロくらいは出ていたような気がする。

目の前を大型ベンツが走っていた

私は、無謀にも、大型ベンツを煽ったのである。

本当にバカである。パッシングをしたのだ。「どけ」という意味である。

ベンツは私のパッシングに応じることはなく、さらに加速していった。

多分、120キロから、150キロくらいに加速していったのである。

私は負けじと、アクセルを踏んだのだ。

その瞬間、ふわっとした感覚になり、車が回転するのを感じた。

「やべえ」

と思った時には、車は2回回転し、中郷分離帯に鈍い音でぶつかった。

「ぐしゃっ」という感じだった。

シートベルトをしていなかったが、吹っ飛ばされるわけでもなく、すっと

車は止まった。

回転運動をしているところで、かなりのエネルギーが吸収され、

比較的ゆっくりと中央分離帯にぶつかったのである。

ノーブレーキだったと思う。シートベルトもしていなかった。

ブレーキを踏まなかったのは、なんとなく踏むとよくないと感じたからである。

以前、冬山の凍った道でブレーキをかけて、かえってひどくなったことを

体が覚えていたのだ。

分離帯にぶつかると同時に、私はブレーキを踏んだような気がする。

たいした衝撃もなく、体にはなんのキズもなかった。

ハイドロプレーニング現象だったのだと思う

車の教習所で習う、ハイドロプレーニング現象だったのだと思う。

高速道理にできた水たまりに、つっこみ、高速だったので、その上を片側のタイヤが滑って回転したのだろう。

車を降りると、ボンネットは直角に曲がっていて、前輪が半分くらい潰れているのが見えた。

すぐに、近くにある非常電話をかけると、10分くらいで

パトカーがやってきた。

「動かせるなら、車を路側帯に移動してください」

といわれた。

前輪はパンクしていたのであるが、FRなので後輪は駆動するのである。

煙はでていたが、エンジンはなんとか動いていた。

前輪のパンクしたタイヤに、簡易パンク修理剤をもっていたので注入した。

警官が後ろの車を止めている間に、

左側の路側帯に車を移動させた。

そうこうしているうちに、JAFのレッカー車がやってきた。

警官と、いくつかの書類を完成させ(事故証明)

大破した車をJAFのレッカー車に載せ、

レッカー車の助手席にのせてもらい、近くのJAFの駐車場まで持って行き、

私は近くの駅で、降ろしてもらい自宅に電車で帰ったのである。

本当にラッキーだった

まあ、ちょっと間違えば、死んでいたと思う。

あの、車がくるくる回る瞬間は、死の世界と隣り合わせだったわけだ。

後ろから大型ダンプが突っ込んできたり、中央分離帯への進入角度が違っていたら、

私は死んでいたのだと思う。

いくつかの幸運が重なり、たまたま無傷だったのである。

車の修理代は150万円かかった。

中央分離帯の修理費用は、20万円くらいだった。

明細を見たら、芝生の養生費用まで記載されていたのを思い出す。

たしか2万円くらいだった。

これ以来、大きな事故は起こしていないし、本当に安全運転になった。

今はゴールド免許である。

20代の若者の保険料が異常に高いのは、とても合理性があると思う。

私自身がまさにそうだったからである。

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