佐藤勇太の好きな言葉、「困難を楽しむ」

生きる理由

私にとって消したい過去だった「不登校」

嫌な出来事はよく起きるわけである。

誰かに叱られたり、ものを壊したり、自分の発言を咎められたり、

様々な嫌な出来事があるわけである。

私にとって、「不登校」は消したい過去であった。

本当に嫌な思い出であり、できるだけ他人に言わないようにしてきた。

不登校が原因で、中学を留年し、中学浪人をして、普通の人より

2年余分にかかっているのであるが、社会人になってからは、

高校を卒業したあと二浪して大学に入ったことにしていたのである。

それほど、言いたくなかったのである。

困難とは解釈である。どう解釈するかは自分次第。

私にとって不登校時代には、2つの側面がある。まわりの大人から、

「早く学校にいけ」といわれ続け、自分は「登校拒否児童」としてのレッテルを貼られ

ていた自分と、

毎日自分の自由なことをやって人生を満喫していた自分である。

この不登校時代には、様々な運動器具を購入し、自宅でベンチプレスなどの

運動をしたり、ボクシングやゴルフなど、自分のやりたいスポーツに

それなりに打ち込んだり、好きな漫画を読み漁り、自宅に数千冊の蔵書を持ったり、

親戚のおじさんと全国に旅行にいったり、かなり楽しいことをしていたのである。

自宅に暗室をつくり、写真の現像なんかも自分でやっていた。

まあ、実家がある程度の金持ちだからできたわけで、誰でもできるわけではない。

けっこう楽しかったわけである。

そういう楽しいことを全部封印して、「地獄のような生活でした」といえば、

多くの人は頷くだろう。

「大変だったのね」とかいうわけである。

一方後半の話をしたら、

「ふざけるなよ」と思ったりもするわけである。

どう解釈するかは、それぞれの自由である。

困難とは何か?困難とは新しい何かが生まれる兆候である

私の不登校で考えよう。普通の人より2年遅れたという意味では

困難かもしれないし、その代わりに色々と楽しめたと思えば、幸せな時間でもあるわけだ。

不登校になるきっかけとして、クラスメイトと担任からのいじめがあったわけであるが、

それ自体を困難と捉えることはできるかもしれない。でもそれがなければ、

こんなに楽しい経験はできなかったわけで、こうして今のように原稿を書いている

私は存在しないのである。そう考えると、あの時のいじめも、私にとっては

楽しい出来事であったと解釈することができるのである。

困難な出来事があると、必ず状況が変化する

これは事実だろう。

なんらかの新しい対応が必要になるからである。逆に言えば困難な状況にならないと、

誰も現状を変えようとは思わないわけである。

今の状況が自分にとって何かの問題があるということのお知らせが、困難なのである。

そのことに気づいたので、いつしか、困難が来ると、ちょっと嬉しい気持ちになる

ようになったのだ。

ようは、新しい何かが生まれる兆候なのである。

困難がくると、嬉しくなる理由

困難が起きない限り成長はないのだ。そこで、起きた困難を克服すると

必ず成長する。例えば、このブログページである。私はネットリテラシーが

それほど高くないので、自分自身でサーバーを契約して、ホームページを作成するなんて

絶対にできないと思っていた。それで作成を依頼しようとしていた人間がいたのであるが、

彼の態度がおかしいので、「だったら自分でやってみるか」と一念発起し、

鶴見にある個人指導のホームページ作成教室を探し、レッスンを受けたら、

3時間くらいで、このサイトをつくることができたのだ。

こんなに簡単にできるなんて、考えていなかったから、びっくりした。

でも、もしそのお願いをしようとしていた人が優秀な人で、手取り足取り対応してくれたら、

決してこのサイトはできなかったであろう。

その個人指導の人は、1日約2万円の指導料でほぼすべてのことを教えてくれて、

サーバー契約、ドメイン取得、ホームページの雛形作成までやってくれたのである。

あとは自宅に帰って、コンテンツを入れるだけであったのだ。そしてこのサイトは数日後に

完成したのである。

昔はそんな発想はなかったが、今は困難が来ると嬉しくなる

これは本当なのだ。

思った通りにいかなくなると、「おっ、きたな!」と感じるのだ。

そして、この問題がどう改善するかを考えると、ワクワクするのだ。

そしてたいてい、数日以内に、新しい改善の道が開けてきて

「あっ、これだったんだ」と気づくのである。

その時の感覚は、ある種の快感である。

ゆえに、何か問題が起きると、嬉しくなるのである。

でも、大事なことが一つだけある。

行動することである。何もしないでじっと考えても自体が改善することは

絶対にない。何か自分で行動しないとダメである。

なんでもいいから、動き続けてさえいれば、必ずソリューションに行き当たるのだ。

どんな問題でも絶対に解決できる。

無精子症候群の人でも妊娠できる

先日テレビを見ていてびっくりしたのであるが、

医師から「無精子症です。精子は1つもいません」といわれた

男性から赤ちゃんができたのだ。

最新の治療では、排出した精液に精子がいなくても、精巣に精子が生きている

可能性がかなりあり、手術により、精巣からそれを取り出し、

妊娠させることができるのだ。

びっくりした。

その夫婦はそれで妊娠したのだ。

これは必ずしも全員に当てはまるわけではないが、もし「無精子症です」といわれたら

普通は諦めるだろう。まさか、医学の進歩がそうなってるなんて

私も昨日まで知らなかった。

仮に、その人が妊娠できなかったとしても、里子をもらったり、

養子を育てたりすることも可能なわけで、困難は色々な方法で改善できるのだ。

それを楽しむと、人生は楽しくなる。

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