高3の小論文の授業で大爆笑を誘った男は、その後プロの作詞家になった

高校生活

和田はほぼすべての授業中寝ていた

高校三年の時、小論文の授業があった。受験対策なのであるが、

クラス全員が原稿用紙4枚分の原稿を書き、みんなの前で発表するのだ。

テーマは自由である。

和田(仮名)は、私の知る限り、ほぼすべての授業で寝ていた。

彼が起きているのを見たことはほぼない。

いつもニコニコしていたが、おしゃべりというわけでもなく、

まあどちらかというと不良グループの中にいた感じである。

ほとんど勉強はしていなかったのであるが、現代国語とか英語の成績はいいのだ。

暗記ものである社会科などは、いつも赤点だった。

かなり地頭がいいのだと思っていた。

彼の小論文のテーマは「我が師、小塚光治」であった

小塚光治とは我が高校の校長であり、創業者でもある人である。

昭和というか、明治の人に近い人で、一代で中高一貫の学校を創業した

元社会党の政治家でもあり、かなり個性的な校長先生であった。

戦争に召集されたが、「これは俺のやるべき生き方ではない」と戦闘に加わることを

拒否したという。戦後教員になり、県会議員にもなり、自分が理想とする

高校を作り上げたのだ。

やや不良系の生徒である和田が小塚先生を尊敬しているわけなど

あるはずもなく、そのテーマをきいた瞬間に、寝ている生徒が全員起きて

クラスにどよめきがおきた。

小塚先生は当時すでに70歳を超えていた。

授業中は、大爆笑の連続だった

小塚先生は昭和の人というよりは、明治・大正の人である。

問題のある生徒を普通に殴っていたし、教師も含めた全員に「健康と

精神を鍛えるために乾布摩擦を毎日やれ」と指導していた。

真冬でも上半身裸になり、乾いた布で全身をこするのだ。

強制ではないので、学校ではやっていなかったが、おそらく教師でもやっている人は

いなかったと思う。

和田の小論文発表は、小塚先生をうまく持ち上げているように見せながら

実はバカにしているという、かなり高等なテクニックをいれた

内容で、たしか最後のしめは、「私も尊敬する小塚先生のような人間になりたいです」

というものになっていた。

現代国語の先生も絶賛した

こういう論文を出した時、教師の対応は二分されるわけであるが、

この時の源(みなもと)先生(仮名)は、流石であった。

実は授業前に先生のチェックはなく、論文発表後に、いろいろと指導が入るので

先生は事前チェックができないのだ。

源先生はかなりくだけた感じの先生で、世の中を斜めにみているような人だったので

文句をいうことはないと思ったが、その通りで、和田の文章テクニックを絶賛していた。

彼は、その後プロのミュージシャンになって活躍している

高校を卒業して数年経ったころ、彼はプロのミュージシャンになってデビューした。

さくらももこのアニメ番組の、主題歌を彼がつくって歌っていた。

(ちびまるこちゃんではありません)

それからしばらくして、私が学校にいき、源先生と話をしたら、

「あいつもミュージシャンとしては超一流じゃないから、もっと

がんばらないとダメだよな」といっていた。

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