元ボクシング世界ランカー、スパイダー根本との思い出

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中学2年の時、下北沢の金子ジムに通っていた

中学2年の時、私は不登校で学校には行っていなかったが、日中は下北沢の金子ジムに練習生で通っていた。(1年くらい)昼の練習は13時から15時までで、それに参加していたのだ。集団練習で、二十人くらいで縄跳びや、サンドバック打ちなどのメニューをこなしていくのである。よく考えてみると、あんな時間になんであんなにたくさんの連中が練習していたのか謎である。普通は日中バイトをして、夕方練習するものである。もちろん、夕方16時から、20時までの練習時間があり、そっちのほうがメインである。ただし、夕方の練習は昼の練習のように集団ではなく、個人的にやるのである。私はできるだけ、昼の練習に出ていたのだ。なんかそっちのほうが、楽しかったのだ。当時14歳の私は最年小で、みんなかわいがってくれていたのである。学校に入っていなかったが、後楽園ホールに試合を見に良く行ったものである。安いチケットをジムで売ってくれるのだ。ついでに言えば、私は写真も趣味だったので、ボクシングの試合の写真もけっこう撮影したものである。

東洋チャンピオン村田とのスパーで、F級チャンプの根本がやってきた

ある日、世界チャンピオンを目指していた金子ジム所属で、世界ランキング1位の村田英次郎のスパーリングパートナーとして、当時世界ランカーで、日本フェザー級チャンピオンのスパイダー根本がやってきたのだ。根本は世界挑戦をしたこともある一流のボクサーで日本タイトルも10回以上防衛している凄腕のチャンピオンだった。ジムには緊張感が流れ、村田とのスパーリングには新聞記者も数人いて、テレビクルーもいたような記憶がある。なかなかのイベントだったのである。

練習が終わった後、私が道案内をした

練習が終わって帰る時に、ジムを出てしばらく歩いていたら、声をかけられた。振り返るとスパイダー根本だった。ニコニコ笑いながら、「おれ、田舎もんだからこんな都会に来たことないから、道わかんないから駅まで連れてって?」といわれ、いっしょに下北沢の駅までいくことになった。

本当にきさくなおっさんだった

スパーダー根本は身長155cmの小さいボクサーだった。でも階級はフェザー級である。日本国内でフェザー級は中量級であり、具志堅用高のジュニアフライ級からは、5階級も上なのである。逆にその小ささを生かした相手の懐に入ってネチネチとしてインファイトをするファイターだったのである。ちなみにボクサーには、ボクサータイプ(外側からジャブを打って攻める)、ファイタータイプ(インサイドで打ちあうタイプ)と、その複合型のボクサーファイタータイプがあり、根本は典型的なファイターであった。

ボクシングが大好きだっていっていた

私が緊張して話しかけれないのを察してくれたのか、駅につくまでの10分くらいの道中は、ずっと向こうが話しかけてくれていた。福島県出身で、本当の田舎で何もないところだったけど、埼玉の草加に引っ越して、すごい都会だと思ったら、東京にきてもっとびっくりしたと話してくれた。ボクシングは大好きだから練習はそんなに辛くはないといっていた。駅までの道のりはとても楽しいものだった。本当にいい人なんだなと感じたのを思い出す。

日本タイトル14回防衛、世界挑戦2回、現在はジム会長

スパイダー根本は当時の日本記録である14回の日本タイトル防衛記録を持ち、また世界タイトルにも2回挑戦した実績を持つ。引退したあとは、草加市の職員になり定年後に川口市にスパイダー根本ボクシングジムをオープンし、今も活動しているという。ネットでみたら、昔のきさくな笑顔といっしょである。どうでもいいが、奥さんはすごい美人なのだ。結婚した当時スポーツ新聞で見た記憶がある。昔、会った人が今も元気でいるのを見るのはとても嬉しいことである。

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