憲法改正が必要なのは、彼らに勝手に解釈させないためである

政治の裏側

なぜ、法律が必要で明文化する必要があるのか?

憲法9条改正に反対する人がたくさんいるが、おそらくあまりよく理解していないのだと思う。明文化した法律が必要なのは、為政者に勝手に解釈させないためである。憲法9条には、日本国は軍備を持たないと名言しているのに、自衛隊は軍備を持っている。これは、防衛のための軍備は持っても構わないという解釈を勝手にしているのである。警察官が持っている拳銃や警棒は軍備ではない。軍備とは、機関銃、大砲、戦車、戦闘機、ミサイルなどである。それらをすでに所有して活動している自衛隊は、名称だけは自衛隊であるが世界的に見たらだれがどういっても軍隊である。過去の為政者(自民党)の都合により、ほったらかしにされたままなのである。

解釈が進んでいくと、なんでも可能になるのである

自衛隊は軍ではなく、自衛のためのための軍備は不問であるという解釈をすでに政府はしているのである。というか、政府は勝手に解釈していいという実例をつくってしまっているのである。日本の行政はそういうわけで、明文化されていなくても、過去に同様の解釈がされていれば、それでいいという伝統があるのである。

憲法9条だけ変えても意味はない

今、自民党がやろうとしているのが、「そういう法律を解釈する主義を一切やめて、ありとあらゆることを明文化しよう」という動きであるなら大歓迎である。絶対にやったほうがいいというか、やるべきである。ところが実態は違うのだ。どういうことかというと、9条の解釈の幅を広げようとしているだけなのである。ようは、集団的自衛権という解釈をより強固にしようとするために、ちょっと枠を広げようとしているだけなのである。

憲法9条のせいで、日本には不文律がたくさん存在している

憲法でさえ、解釈で違憲である自衛隊も認めているのだから、他もいいのだという解釈で、日本には実に多くの不文律が存在しているのである。大阪の橋本元知事がやろうとしてできなかったたくさんの、利権問題などはその最たるものである。法律には明記されていないが、元被差別部落出身の方々には様々な恩恵を与えるという不文律も存在しているのである。個人的な意見としては、そいう特権というか配慮はあっていいと思う。ただし、しっかりと明文化すべきである。米国であれば、インディアン居住区というのが存在し、カジノが非合法であるカリフォルニアでも、インディアン居住区にはカジノが存在し、そこでは非課税でアルコールやタバコが売られているのである。もちろん明文化されている法律に基づいたものである。私もロスアンゼルスに住んでいた時にはしょっちゅう行っていた。

彼らは勝手に解釈し、利権を享受しているのである

最大の問題は、そういう利権が完全に闇に包まれていることである。米国と異なり日本の場合は、インディアン居住区のような考え方は、議会を通らない可能性が高いと思う。そういう予想をすれば、今のままこっそり続けるか、廃止するかの二択になるから、こっそり続けるを選ぶわけである。昔、あるお坊さんが隠れてお酒を飲んでいるのを見つかって問い詰められたら、「これは般若湯(はんにゃとう)である」といって、逃げ切った話があるが、自衛隊も同じ類の話である。

解釈はよくない。なぜならうまく伝わらないから

当たり前であるが、口頭でのみこういう利権が受け継げられていくと、どこかで曲解される可能性が極めて高いわけである。そうならないために、きちんと明文化すべきなのである。かつては、親や教師の暴力はある程度までは「しつけである」と解釈されていたわけであるが、その結果多くの子供が犠牲になっていったわけである。場合によっては、死ぬ場合も多数あったわけである。まだまだ日本には改善しなければいけないことがたくさんあるのである。

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