いじめはなくならない。このままではなくなるわけがない。

いじめは、よくないことである。ほぼすべての人がよくないとわかっていて、それなりに対応策を講じているが、なくならない。むしろ増えているのではないだろうか。今まではいじめと認識されなかったことも、いじめとされてしまうことも一因かもしれない。理由は社会構造が変わらないからである。社会構造が問題で起きている問題なのに、対処的なことだけをやってうまくいくはずがないのである。日本でいえば、競争的な社会構造は何も変化しておらず、企業も個人も競争し、順位をつけていて、より上のものが勝利者となっているわけである。本当の勝利者は余裕があるから、いじめたりはしないかもしれないが、勝者と敗者のボーダーにいるような人間は、とても不安定なわけで、ストレスがたまるだろうから、誰かをいじめたくもなるわけである。学校であれ、企業であれ、スポーツクラブであれ、家庭であれ、多くの組織でそれは継続して起きているわけである。大相撲で弟弟子をいじめたとして、強制的に引退させられた貴ノ富士の問題は象徴的であると思う。強いものが上にいくという、一番シンプルな構造社会である相撲界にいるわけで、誰かを蹴落とさなければ生きていけないわけである。誰かが落ちないかぎり、自分が上がることはないのだ。もっといえば、下からあがってくるやつだって敵なのである。自分だけが生き残り、誰かをけおとすのが常識の社会において、いじめ的な行為は必然的に発生する。かつては、それで集団互助会的に八百長が行われていたのである。一度、関取にあがったものが、その互助会に入り、集団で利益を享受していただけである。競争社会がある限り、いじめがなくなることはないのである。社会構造を変革するのは、現状ではほぼ不可能である。なぜなら、資本主義経済社会そのものが根本的な原因だからである。かつては信じられていた共産主義思想は資本主義以上に問題があることがわかり、現在では独裁政権が自身の利権を守るためだけにしようされている。対処的な方法が無意味であるとは思わないが、根本的な解決にはならないことを知らなければいけない。では、いじめのない社会は実現できないのか?そんなことはない。例えば家庭レベルでいえば、いじめが存在していない組織はけっこうあるわけである。仲のいい夫婦などには、いじめは存在していないわけである。ようは競争がなく、共存が成立している場合に、いじめは行われないのである。社会的にそれを実現することは、現状では難しいが、不可能ではないわけである。だれか頭のいい人が真剣に考えてくれれば、簡単に実現できそうな気がする。最初は小さい組織で実践し、問題点を抽出し、改善作業を繰り返し、徐々に大きな組織に移行すればいいのである。学校などよりも、企業や地方公共団体のほうがうまくいくような気がする。なぜなら、そういう命令を出せば、命令通りに実行する可能性が高いからである。いじめがない社会を作ったほうがいいと思う。

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