真央ちゃんと、ヤワラちゃんの違いについて

ちょっと笑える話

五輪銀メダリストと、金メダリストであるが人気は段違いの理由

ヤワラちゃんは最初の五輪で銀メダルだった。よく考えてみるとわかるが、銀メダルでもすごいのであるが、本人は全く価値がないと思っていたのか終始不機嫌で、お通夜のような状況だったのを思い出す。その後、金メダルを獲得し、大喜びをしていたわけであるが、金メダル以外には価値はないという雰囲気をかもしだしていたわけである。                     

一方の真央ちゃんは、結局最高で銀メダルまでしかとれなかった。最後の五輪では、メダルにすら手が届かなかったわけであるが、メダルの可能性がなくても全力で滑りきった最後の演技で、日本中を感動させたわけである。真央ちゃんは、銀メダルよりも、むしろこっちのほうがすごかったという気がするわけである。

ヤワラちゃんは、一番以外に価値はないという考え

ヤワラちゃんにとっては、銀メダルも銅メダルもビリも同じなのかもしれない。一番以外には価値がないという価値観なのだと思う。考えてみると、その考え方だと、1位以外のすべての人は不幸になったしまうわけであり、幸福な人は世界で一人だけなのである。寂しい世界である。真央ちゃんは、そうではなく、すべての人が幸せになれる世界観なのである。ビリでも幸せかもしれないし、もしかしたら、1位でも不幸ななのかもしれない。それぞれが、自分なりの目標を達成することができて、自分の楽しいことをやりきれれば幸せであるという価値観である。どう考えても、こっちのほうが素晴らしいわけである。

引退しても活躍する真央ちゃんと、消えてしまったヤワラちゃん

ヤワラちゃんは国会議員をやっていたが、いつのまにやら政治の世界から消えてしまった。選挙で落選したわけではなく出馬しなかったのである。おそらく出馬しても当選しなかったからである。むかしあれほど人気があったヤワラちゃんが消えてしまったのは、彼女の心の奥が透けて見えてしまったからだと思う。ある意味彼女も必死だったのだと思う。一番にならないと自分が評価してもらえないと思っていたのでがんばっていたのだと思う。ある意味かわいそうな生き方である。一番にならなないかぎり、評価されないと思っているのだ。

人間は存在そのものに価値があり、それを評価してもらえることが幸福なのだと思う

考えてみるとわかるが、金メダルでも銅メダルでも、お金に換算できるものではない。長嶋茂雄がいまでも多くの人から愛されているのは、彼の記録ではなく、彼の存在が愛されているからである。いい大学に合格できなければ親から評価されないから死ぬ気で勉強し、それでもどこにも合格しなくて、死んでしまうこどもがいたりするわけである。ヤワラちゃんはそういう子供と精神構造は同じなのである。彼女はたまたま優秀で金メダルを取ることができただけなのである。

森喜朗が「浅田は必ず転ぶ」発言した時の対応

まおちゃんが、オリンピックのショートプラグラムで実力を発揮できなかった時、森喜朗元首相が「浅田は必ず転ぶ」と発言した時の切り返しは見事だった。グダグダいわないで、その後のフリーの演技で過去最高点の演技をしたのである。そして、「森さんも、そんなこといってんだあと思いました」とコメントしたのである。これはなかなかできることではない。やんわりと、文句をいっているわけである。オリンピック委員会の最高責任者に対して、自分の意見をはっきりいうのは並ではできない。ヤワラちゃんだっから、その後の政界進出などのことを考えて、ノーコメントか、適当なことをいっていただろう。こういう権力に媚びないところも魅力である。

真央ちゃんはこれからも人気者であり続けると思う。ヤワラちゃんは・・・・

真央ちゃんは、なんかいつも自然体で、自分のやりたいように生きているところがいい。フランスでイケメンの男とイチャイチャしているところが報道されたことがあるが、どんどんやってほしい。好き勝手に、自由に生きて、楽しめば楽しむほど人気がでると思う。ヤワラちゃんは、もうあまり表舞台で活躍することはないと思う。長年染み付いた考えが変わることはないと思うからだ。2019年12月に産経新聞で、ヤワラちゃんが自伝のような連載をやっていたのを読んだのであるが、薄っぺらい発言ばかりで、全く心を動かさなかった。なんか、やっぱりダメな感じなのである。

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