心の纏足(てんそく)は、現在も多くの場所で続いている

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纏足(てんそく)とは、廃止されたが

考えられない風習であるが、最近まで続いていた風習である。女性の足を幼少時から器具で固定し、普通に歩けないようにしていたわけである。まあ、一言で言えば虐待であり、女性蔑視である。でも、この風習を日本人にとっては他人ごとではない。現在でも心の纏足をされて苦しんでいる人は多数存在しているからである。

親が考える価値観を子供に押し付けるのは心の纏足である。

親はよかれと思って、自分の価値観を押し付けるわけである。例えば、勉強をして優秀な大学にはいることが子供のためだと思い、勉強を強制させることなどである。本人がそれを自発的に望んでやりたいのであれば、応援してほうがいい。でも、そうでない子供に強制的にやらせることは、纏足と同じことなのである。

纏足はよくないこととわかるが、勉強させるのは違うことだと、感じてしまう多くの人たち

あの纏足の写真をみて、それが正しい行為だと思う人は、ほとんど存在しないと思う。勉強を強制させることとは根本的に違うことだと思うだろう。それは同じことである。肉体は目に見えて、心は目に見えないだけである。まったく同じことである。ある雛形があって、それにはめ込もうとする行為である。まったく同じである。

人間はやりたいことをやらせないように教育されている

すべての赤ちゃんは、やりたいことをやり続けている。成長するに従い、様々なルールを教え込み、やりたいことをやらせないで、大人が考えるやるべきことをやらせようとしているわけである。その結果できあがっているのが、我々が住む社会なのである。我々が正しいと信じきっているルールの多くは、為政者のためにできたものである。為政者とは必ずしも国王ではなく、家庭や、学校や、会社などの組織における支配者のことである。彼らにとって、都合がいいようにこの社会はできているわけである。まず、この事実をしっかりと認識しないといけない。為政者にとって都合のいいことと、個人にとって都合のいいことと、社会にとって都合のいいことは同じではない。当たり前である。

世の中は、いい方向に動いていて、今まで見過ごされていた問題は浮き上がっているのである

人間とって一番の問題は、飢えの問題である。餓死問題を克服するためには、様々な制約が必要であったため、人類は多くの規制の中で生かざるをえなかったわけである。そのために為政者のいうことを絶対視する社会ができていたのである。ところが、最近になり、人類の多くは飢えを克服し、餓死しない社会をつくりあげ、本来の人間としての生き方に目覚め始めているのである。

自分らしく生きることは、夢だったが、これからは普通にできるようになる

日本人が飢えを克服してからは、実は数十年しかたっていないのである。過去の歴史のほとんどが飢えとの戦いだったため、飢えを克服しても、多くの人はにわかに信じられないのだ。これもある種の本能だと思う。でも、事実でいえば現在日本国内で、普通に生活をしていて餓死する人は存在しないのである。餓死しなくなる状況ではじめて、人間は自分らしく生きることができるようになり、我々はそういう社会に生きているのだ。今の日本では、ゆえに、束縛されて生きなくてもよい状況になっているわけで、自由に謳歌すべきなのである。でも、そこに気づいていない人のほうが、多いのではないか。昔は、為政者の言う通りにしないと、文字どおり生きていけなかったのに、現在ではそういうことはないのである。少なくとも日本では。ゆえに、もっと子供だけでなく、親も、すべての人が自由に生きることができるのだから、自由に生きるべきなのだ。なんとなくのイメージなのであるが、すべてのひとがイチローや、孫正義や、ホリエモンのように生きれる社会が理想なのだと思う。

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