体罰の規制はしつけの萎縮をまねく:産経新聞の社説より

生きる理由

12月15日、産経新聞の社説

けっこうびっくりしたのであるが、12月15日の産経新聞の社説に、「適切な指導まで萎縮しないように求めたい」と出ていた。一言で言えば、「はあ?」である。暴力は無条件でいけないものであれば、体罰も無条件でいけない。ただそれだけである。私は、二人の息子の親であるが、人生のなかで、彼らを殴らなければいけない場面など、一回もなかった。かといって、私が体罰をしなかったかといえば、したことがある。それは私が未熟だったからであり、そんなことをしなくても、別の方法があったわけで、でもそれができなかっただけである。

現実には、多くの子供たちが死んでいる。それを食い止めるほうが先

体罰によって死んでしまう子供が現実にはいるわけで、最近では目黒の幼児虐待事件などが有名である。親は「しつけです」といい、殺しているわけである。殺さないまでも、多くの子供たちが虐待の被害にあい続けている現状を見過ごすことはできない。

社会変革のためには荒療治が必要である

53歳の私が子供の時代は、親や教師の暴力は普通だった。むしろ殴らない親や先生は、「やる気がないのではないか?」と思われたくらいの時代である。暴力としつけの境は、あいまいというか、存在していないので、多くの子供たちが暴力行為の被害者になっていたわけである。それが平成になり、令和になり、いつのまにやらなんとなく「暴力はいけない」という雰囲気になってはいるが、昔と何も変わっていないと思う人も多数存在する。一切の暴力行為はいけないということを、徹底させるほうがはるかに重要である。

生類憐れみの令の本当の意味:命の軽視からの脱却

徳川綱吉が発布した「将来憐れみの令」を悪法だと誤解している人が多い。なぜなら、そういうように学校で教えているからである。この法律の本当の意味は、戦国時代に人間の命などほとんど意味がないという価値観の中で生きてきた人々の価値観を、劇薬で変革しようとしたものである。動物の命であっても、これほど重要なのに、まして人間の命はどれだけ大切なのかということを伝えるための法律である。考えてみれば、そのちょっと前には、人間の首を多くもってくれば、評価されたわけである。最近になって、ようやくこの法律の本当の意味を理解する文献が増えているが、学校でそれをうまく伝えている教員は少数だろう。

一番大事なのは子供である

しつけのために暴力に頼ってはいけない。自分がそうされて効果があったと思ったとしてもいけない。殴らなければいけないと思った時にどうするか?調べるしかないと思う。もしくは専門家に意見を聞くのも意味がある。「他に手段がわからなかった」というのでは、目黒の虐待死事件の犯人と同じレベルである。親になった時点で完璧な親など存在しないわけで、最新の教育理論を学ぶ等の努力は必ず必要なのである。でも多くの人はそうはしないし、親としての指導方法を学ぶための機関が存在しているわけでもないので、悲劇が起きるのである。

暴力を規制する法律もそうだが、親を教育するための機関が必要である

親になるということは大変なことである。でも実際には誰でもなれてしまうわけである。何も規制はないわけである。学校の先生よりも、もしかしたら難しい子育てという作業を、勝手に手探りでやっているわけである。たまたま両親が優秀で、完璧な子育てを受けてきた人であれば、結果的に子育てがうまくいくかもしれないが、そんな人はほとんど存在しないわけである。大きな社会改革になるとは思うが、きちんと親ととして指導するためのことを学ばせる機関なのか、システムがない限り、問題は繰り返されるはずである。暴力をする親が減っても、問題が解決するわけではないのである。

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