死刑制度は、異常者の自殺に使われているから廃止したほうがいい

事件の深読み

死刑制度に犯罪抑止力はない理由:1人殺しても死刑にならない

ハンムラビ法典は世界最古の法律である。目には目を、歯には歯を、死には死をである。人を殺したら、その人も殺されるわけである。ところが現在の日本の法律はそうではない。基本的に1人殺しても死刑にはならない。あまりにも残虐で、情状酌量の余地がまったくない場合には1人であっても死刑になるが、原則的には1人の殺人で死刑になることはない。世界的な流れの中で、厳罰化が進む可能性は低く、むしろ死刑制度廃止が流れである。

オウム真理教 村井副代表刺殺犯 懲役12年

克己しげる。愛人を自分の仕事復帰の足手まといなると考え殺害。懲役10年。

元事務次官、息子を殺害し、懲役6年

過去の判例では、1人だけを殺して死刑になることは稀である。逆にいうと2人以上の殺人であると、ほぼ自動的に死刑の可能性が議論されるわけである。

死刑を廃止した国で、凶悪犯罪が増えたというデータはない

1981年に死刑を廃止したフランスの統計でも、死刑廃止前後で、殺人発生率に大きな変化はみられない。韓国でも、1997年12月、一日に23人が処刑されたが、この前後で殺人発生率に違いが無かった、という調査が報告された。(韓国は事実上死刑廃止になっている)また、人口構成比などの点でよく似た社会といわれるアメリカとカナダを比べても、死刑制度を廃止していない米国よりも、1962年に死刑執行を停止し、1976年に死刑制度を廃止したカナダの方が殺人率は低い。(米国では死刑制度廃止は州によって異なる)

それよりも、日本の場合、異常者の自殺のために死刑制度が乱用されている可能性が高い

何らかの理由で、多数の人を巻き添えにして、無差別殺人を行う犯人が存在している。これは世界的に見ても、ある程度定期的に現れる現象であり、日本だけが特別なわけではない。2001年に起きた池田小虐殺事件の犯人の宅間守は、「できるだけ早く死刑を執行してくれ」と公言したことをみるように、自殺の手段として虐殺を行った可能性が高い。彼のように名言はしていないが、以下の例は、同様に死刑制度を利用した自殺である可能性も否定できない。もし、死刑制度がなければ、彼らが虐殺を行わなかった可能性は高いと思う。なぜなら、彼らは自ら死ぬ勇気がなかったからである。

2008年、加藤智大により秋葉原の路上で7人が殺害

池田小事件、宅間守により8名が殺害

死刑を廃止すべき、最大の理由、死んだら教育できないから

死刑を廃止したら、遺族の感情はどうなるのだという意見が多いが、そもそも2人以上の殺人でないと、死刑は行われていないのである。(原則的に)ほとんどの殺人犯は、死刑にされていないのである。大量殺人であれ、1人であれ、殺された遺族の気持ちは同じはずである。私が死刑廃止すべきと考える理由は、犯人の中に少数であっても改心する人が存在するであろうと信じるからである。殺人という罪は重い。かといって、犯人がやったのと同じよう犯人を殺してしまえば、何もならないと思う。世界最古の法律であるハンムラビ法典と同じではないか?たとえわずかであっても、生き続けていれば反省する気持ちが生まれる可能性はあるし、反省した人もいると思う。刑罰の役割は、2つあり、一つは罪を償うことであり、もう一つは教育である。でも、殺してしまうと教育にならないからである。多くの犯罪者は反省もしないし、教育しても意味はないという意見もあると思う。そうかもしれない。でも、たった1%であったとしても、改心する人がいる可能性があるなら、そのまま生き続けているほうが意味があると私は考えるのである。生きていて意味のない人はひとりもいないと信じているからである。

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