「あなたのため」と思って何かをしてあげる人は、超傲慢

生きる理由

誰かのために何かをしようと思う人はたくさんいる。ほとんどの親は「子供のためにがんばる」と思っているわけである。でもそれは、とても傲慢な発想なのである。自分が考えた、〇〇のためということが、本当に〇〇のためになっているかなんて、誰もわからないのである。それを、多くの人がそうしているから、とか、私もそうされていきたから、とかいう理由だけで、その価値観を押し付けていることは、とても傲慢なことである。だからそういう人は、うまくいかないと、「せっかくお前のためにやってやっているのに、ふざけるな」とか言うわけである。ではどうすればいいのか?簡単である。視点を自分に変えればいいだけの話である。例えば、子供を立派な人間にしたいという考えは傲慢である。でも、自分が立派な親になるという考えは全く問題ないわけである。立派な親とはどういう親なのかをしっかり考えて、すべての行動指針にするのだ。そこでゴールが、「息子を医者にする」というものであったら、話にならない。それは立派な親とは関係ないものであるからだ。例えば、私が考えてる立派な親とは、自分の子供から愛されていて、子供が楽しそうにすくすくと育っていて、まわりいるほとんどの人から「あの人は立派な親だ」といわれるような人である。厳しくしつけをして、子供が毎日泣き続け、「今は理解してもらえないけど将来、親の気持ちを絶対にわかる日がくる」なんて考えている親は、立派とはとても思えないわけである。むしろダメな親だと思う。例えば世の中の80%くらいの人から「あの人は立派な親だ」と思われるような人であれば、立派な親だと言えると思う。最近の世間はかなり厳しいから。学校の先生であればもっとわかりやすい。自分のクラスの80%の生徒から「いい先生」といわれるような先生になることができれば、まず間違いなくいい先生である。でも、そんな先生は少数だろう。ようは、主体を自分自身にすることが重要なのである。いい生徒をつくるのが目的ではなく、自分がいい先生になるのを目的にすれば、結果的にいい生徒ができるということである。この考え方がとても重要なのである。「今は嫌われても、将来感謝されればいい」という発想はダメである。今日、感謝されなければダメなのである。ここは重要ポイントなのだ。

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