裁判結果などの大本営発表ではなく、結果から読み取ることの重要性:ロス疑惑事件から考える

事件の深読み

新婚妻が射殺された事件:ロス疑惑

最初被害者だと思われていた殺された被害者の夫の三浦和義が多額の保険金を受領していたころから、一審で無期懲役を受けた三浦がその後一転して無罪判決を受け、その後米国への旅行中に、米国で逮捕され、収容中に自殺してしまった事件である。

もし日本の裁判が米国と同様の陪審員裁判なら有罪だったと思う

日本の裁判は証拠を重要視するので、物証がないかぎり、疑わしきは罰せずの原則があり、その結果無罪となったわけである。証拠第一主義のため、例えば相手を殺して川に捨てたような場合、死体が発見されないかぎり、殺人罪は適用されないなどの問題があるのである。米国では、有名なフットボール選手であったOJシンプソンが妻を殺害したとされる事件で、陪審員制度により無罪になったりなど、必ずしも証拠は重要視されないのである。陪審員の判断が優先されるわけである。

いずれにせよ、日本で無罪そして、米国で収監中に自殺した意味

これは素直に解釈することが、もっとも真実に近いと思う。実際の犯人は三浦和義である。米国の多くの州では死刑が廃止されているが、カリフォルニアには死刑制度がある。でも、日本でも無期懲役だったことを考えると、米国でも同等の判決が下される可能性のほうが高いと思う。米国で裁判を受けても死刑になることはなかったかもしれないが、結果として終身刑になる可能性が高いと感じたので、絶望して自殺したのだと思う。状況証拠では、そう推察されるが、それを証明する方法は存在しないので、真相は藪の中である。

日本の裁判制度は、かなり大きな問題があるということ

実際に犯罪を犯しても、自白をせずに、立件するための証拠さえなければ、無罪になることがあることを証明した事件であるわけである。また、それが本当に無罪なのではなく、米国では立件されると確信し自殺したという間接的な証拠により、犯人が三浦であることが証明されたわけである。つまり裁判の結果と、実際に犯人が誰であるかということは、必ずしも一致しないということである。おそらく多くのケースでは一致しているのだと思うが、例外も多数存在しているわけである。冤罪だったり、誤審だったり、その内容は様々である。

状況証拠のほうが、真実を語るものである

そのあと状況がどのように変化していったのか等、をしっかりと見極めていくことが真実に行き着く最大の近道であると思う。「こんな人間はいるわけがない」とか、「こんなことをするわけがない」という思い込みは、かえって真実から遠ざかるものである。ロス疑惑事件では最初の感覚、「あの男はどう考えてもあやしい」ということが真実に近いものであったと思う。

一方で、林真須美は無罪だと思う

多くの人は、「あんな詐欺をたくさんやっている悪人なんだから彼女が犯人に違いない」と思っている人は多いと思うが、私の意見は真逆である。彼女が犯罪を犯すときは、必ずお金が目的であり、お金を一円も生み出さない無差別殺人を彼女のような犯罪者は決して起こさないと感じるからである。やるとしたら、必ずどこかに金儲けの仕掛けをいれるはずである。それがないのと、直接的な証拠がないのが、理由である。自宅にあったヒ素と、現場のヒ素が同じだとするが、私の聞いた話であると、岡山県で販売されていたヒ素は1種類だけであり、それが林家にあったものと同じであったらといって、彼女が犯人にされることは、論理の飛躍であると思う。おそらく、このケースでは、林真須美が犯人に違いないという前提から進んでしまっているものだと思う。冤罪がつくられるケースの典型であると思う。裁判官も検察官も仕事なので、容疑者が他に出てこないのであれば、加害者不詳といことは、自分の仕事が十分でなかったことになるわけで、なんとか有罪にしたいわけである。サラリーマンとしては当然の発想であろう。しかも、容疑者が元々悪いことをたくさんしている人なのであるから、別にどうでもいいという考えてが支配的になるのは理解できる。

そういう事実というか状況を知っておくことには意味がある

世の中は、よくなってきてはいるが、様々な局面で不合理なことが行われているわけである。意図的に行われる場合もあれば、偶発的に起きる場合もある。何が起きても動じない心構えが重要であると思う。

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