「俺なんかどうしようもない」と本気で思っていて、落ちていった大企業の部長

生きる理由

誰でも知っている大企業の部長だった

Mとは長い付き合いである。子供のころからよく知っている。勉強もできて、スポーツもうまかった。親は一流企業に勤めていて、その社宅に住んでいた。まあ裕福な家庭で、何も問題なく育っていたわけである。

一流大学を卒業し、超一流企業に就職をした

彼にとっては挫折だったようである。六大学の理系に入学したのであるから、大成功である。でも彼はさらに上を目指していたので、彼にとっては「挫折」なのである。そのあとに就職した企業も、超一流であるが、それも第一希望ではないので、彼は「挫折」といっていた。

順調に出世し、結婚もして、部長に昇進した

大企業で部長になるということの意味を知っている人は、そんなに多くないかもしれない。サラリーマン社会における偏差値60upであることは間違いないわけである。日本国内の成功者上位1%には間違いなく入っているわけだ。大出世人生といっても、過言ではないと思う。それほど、大企業で部長になるということは大変なことなのである。その上は、役員しかないのだから。でも彼はいつも愚痴をいったいた。「俺は本当にだめなんだ」これは彼の口癖である。学生の時も試験の直前に、「まずいよ何にも勉強していない。どうしようもない」といっていて、テストの点数は80点だったりすることもよくあった。「たまたま、偶然に山をはっていたところがでただけだ」とかいっていたのを思い出す。

離婚して、どんどん降格していった

よくあんなネガティブなことばかりいっていて、うまくやっているなあと関心していたのであるが、歳をとるごとに、彼は彼の思っているような人生を歩むようになってきたのである。部長から役員になるのではなく、どんどんと降格していき、今は部下もいない窓際族である。本気でいつやめようか考えているようである。数年前に奥さんから離婚を切り出され、家族とも別れてひとり暮らしをしている。当時「俺なんかだめなやつだ」と聞くと、なんかむかついたものであるが、今はむしろ同情してしまうほどである。でも気づいたのであるが、今のほうがなんか幸せそうなのである。

彼は結果として自分の理想の人生を手に入れたのかもしれない

これは皮肉でいっているのではない。なんか、彼は幸せを受け入れることのできない人間だったのだと思う。不幸でいることが目的であり、不幸になるために幸せになったのである。どういうことかというと、ずっと不幸でいる人は不幸ではないからだ。慣れてしまうとそれが普通になってしまい、一見不幸でも幸せを感じてしまうものである。不幸になるためには、幸せになり、そこから落ちないと不幸を感じないのである。不幸を味あうために、彼は一時的に成功者になったのである。これは皮肉でいっているのではない。本当にそう感じるのだ。逆にいうと、幸せになりたいと思っている人は、一回かならず不幸になるものである。そうしないと、幸せを感じないからである。一生大金持ちの人は、金持ちの状態が続くことを幸せだと思わない。「退屈だ」と思うだけである。

最初は、謙遜でいったいたのかもしれないが、言っていた言葉が現実化したのである

人間は自分が思ったような人生を歩むことができるようになっている。彼は最初は謙遜で「俺なんかだめだ」といっていたのかもしれないが、いつしかそれを本気で思うようになっていったのだと思う。そして、それを現実かするために、一回、中くらいの成功を達成して、そこから落ちていったのである。おそらくそれは無意識である。無意識の中でそうしてしまったのだ。繰り返すが、彼は今人生で一番幸せそうに見えるのである。

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