「これが世の中のルールなんだ」と思い従う時、それは大人になったのではなく、人として堕落したのである

生きる理由

52年間生きてきて、感じること

人生には何回か転機があったと思う。

天真爛漫に自由に生きていた子供のころ、毎日が楽しかった。

ある時、いくつかの大人のルールを知り、

「世の中はこういう仕組みで成り立っているんだ」ということを

肌で感じ、成長したような気分になるわけである。

私自身、そういう体験をなんども繰り返してきた。

一言で言えば

「長いものには巻かれろ」ということだと思う。

改めて、いま思うのは、それは間違っているということである。

自分自身が子供のころに感じていた感覚こそが正しいと思うからである。

社会は誰か為政者がいて、その人が全権を握り、その人の既得権を

守ることで、それ以外のすべてのひとを不自由にすることで成り立っている。

たった1人の為政者しかいないのであれば、そんなに問題ないと思う。

絶対的な支配者が、この世に1人だけいて、それ以外の人が全員

同じルールで縛られているなら、むしろ1名以外は平等だからである。

ところが現実は違う。

為政者がたくさんいるからである。

為政者が支配する人がいて、その支配されている人が別の人を支配し、それが

繰り返されているのである。

ゆえに、社会は息苦しいものになっているのだ。

多くの人はきれいごとをいっている。

それは社会のためではなく、自分のためだからである。

厳密にいえば、自分と自分にごく親しい人だけが幸せになればいいという思想である。

北朝鮮はわかりやすい。

国民のためではなく、金正恩一族とその取り巻きの幸せだけを考えて運営されている国家である。

日本という国家も、基本構造はそんなに違わないと思う。

キム一族とその取り巻きにあたる人々の数が若干多いだけであると思う。

程度問題である。

本当の意味で、社会全体の幸せを実現しようと考えた場合、むしろ

誰かがきっちりとした考えで支配してしまったほうが、簡単だという

思想にいきつくわけである。

共産主義思想はその典型例である。

でも、うまくいかなかったわけである。

現状世の中に広く流布している思想の中で、完璧に機能している思想は存在していない

のだと思う。

民主主義という考え方は、相対的には最もマシな仕組みだと思うが、

理想とは程遠いと体感的に感じている。

ゆえに、やらなければいけないことは、現在は存在しえない、新しい思想を考えることなのだと

思う。

世の中には頭のいい人がたくさんいるので、みんなで考えれば、まったく新しい思想を

つくりだすことはできると思う。

人類は、貨幣制度や、会社制度や、金融経済や、様々な新しい考え方を

発明してきたわけである。

今は無理でも、すべての人類が幸せになるための思想だって、

作り出すことは可能だと思う。

子供の笑顔をみると、心がほっとする。

それは子供が自由に生きているからである。

自由でいるということが、本当の幸せに一番近いような気がするのだ。

最初、自由な子供は、様々なルールでがんじがらめにされて、大人になっていく。

がんじがらめにされた後で、勝手にやらせれば、歪んでいるので

とんでもないことをしでかす人間がでてくるのは当然である。

でも、最初からずっと本能のままに、自由に生き続けることが許されるとすれば、

どのような大人になるのだろうか?

残念ながら、それを実現した人は人類史上誰もいないのだと思う。

キリストが迫害を受けて殺されたのは、その証左である。

自分自身が生まれたままの感性で、それが正しいと感じることをやるということが、

最も正しいことなのではないかと感じている。

意外にそういう考え方は、独善的にならないものである。

みんなが幸せになるようなことをすると、それに胡座をかいて、悪用する人が

必ずでてくるわけである。

それをどうするかは、大きな課題である。

それさえも、含めて、相対的に、今ある仕組みよりマシな仕組みを考えて、

実行し、少しづつ改善していけばいいのだと思う。

最初から全国単位で実施するのは難しいので、どこか特区をつくってそこで

実験をするとかの方法が現実的だと思う。

共産主義で明らかになったように、概念としては高邁でも、実施すると予想できない

様々な問題が発生するからである。

それらに対する対処法も、じっくりと開発するのである。

なんとなく、今までのやりかたを続けていても、物事を改善することはできない。

改善する時には、時には劇的に変えていかないとダメな場合もある。

共産党のように、武力革命を否定しない考えはよくないと思うので、

できるだけ穏便にやるべきだと思う。

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