どんな時でも問題から目を背けないでしっかり対峙することの大切さについて

日常の出来事

右の前歯が差し歯になった理由

小学四年の時、給食の後で、歯に食べ物が挟まって、とても不快だったのだ。手元に楊枝なんてないので、近くにあった針金の先で、歯につまったカスを取ろうとしたら、前歯に小さい穴が空いてしまったのである。ほんの、小さなかすかな穴である。私は「まあいいか」と思い、そのまま何もせずに放っておいたのである。それから、六年くらいたった後、その穴は直径2ミリくらいの識別べきるくらいの立派な虫歯になっていて、歯医者に行き、差し歯にしてもらったのである。もし、穴を開けた直後か、せめて1年後くらいに歯医者にいっていれば、簡単に治っていたはずである。

私は気づいていたが、見て見ぬ振りをしていたのである

その6年の間になんども歯医者には行っていたのであるが、前歯の上の方にある虫歯だったので、先生は気づかなかったのである。普通は決して虫歯になるような場所ではなかったからである。私は無論気づいていたのであるが、なんか聞くのが怖かったのである。理由はよくわからない。とにかく、ほったらかしておいたのである。問題であると気づいているが、それでも何にもしないで、問題が悪化してしまうことって、本当によくあると思う。レンタルビデオの返却日を忘れていて、どんどん料金が加算されていくのを知っていながら、ダラダラと返却を先延ばしにしてしまったこともある。忘れていたわけではないのだ。わかっていて、やってしまうのである。

とにかく一瞬でも早く手を打つべきなのである

とにかく早くやるべきであることはわかっていても、それができないのはなぜなのだろうか?怠け者だからというのは、答えになっていないと思う。怠けていることだけが理由ではないのだ。問題を見ないことによって、その問題が存在しないものであってほしいという願望がそうさせるのだと思う。「夢であって欲しい」という感情なのかもしれない。でも、夢ではないので、問題が単純に深刻化するのである。

なぜ、私は歯の治療をしなかったのか?

当時の私の心理状態は破滅的な思想を持っていたような気がする。いつ死んでもおかしくないような精神状態だったのである。どういうことかというと、死んでしまうのであれば、歯の治療なんてしても意味がないというものである。小学生高学年から中学にかけての私の思想は、けっこうやばかったのである。すべてのものに不満を持っていたような気がする。人生で一番不安定な時期だったと思う。

それから大きく人生観が変わっていったと思う

一言でいえば大人になっていったのだと思う。だんだんと、考え方も変わっていき、長生きしたいと思うようになってきて、なんか問題を先送りするようなことは減っていったような気がする。この前歯を差し歯にしたことも、人生の大きな教訓になっているのである。問題を先送りするとろくなことにならないということを、前歯1本で学んだとすれば、安いものだったのかもしれない。お袋に聞いたら、当時の値段で、1本12万円支払ったそうである。感謝である。(1978年ごろ)

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