杉並区立浜田山小学校は、1970年代は、石炭ストーブで瓦屋根だった

ノスタルジー

当時の杉並は、地方都市よりも田舎だった

令和の時代はおしゃれっぽい街である杉並区浜田山の1970年代は考えられないほど田舎だった。私は1966年生まれで、3歳の時に浜田山に引っ越してきたのであるが、駅前から井の頭通りまでは、ほぼ畑だった。本当に何もなく、ぽつんぽつんと店が点在していたのである。まあ、農村地という趣であった。そこにある浜田山小学校もとても古い校舎だったのだ。あまりにも古いので、私が小学校三年の時にすべて建て替えられて、当時としては最新型の校舎になったのであるが、それまでの2年間は本当に山小屋のような校舎であったのである。当時、私には千葉の松戸に住んでいる従兄弟がいたのであるが、浜田山にくると「こんなど田舎みたことがない」といわれたものである。また、二年生の時に名古屋から引っ越してきたクラスメイトは、「名古屋のほうが大都会だよ」といって自慢していたのを思い出す。最近「おしゃれな街」「ポルシェが日本で一番売れる街」とかいわれているが、なんか大笑いである。

ストーブは石炭で、「石炭がかり」という委員がいた

石炭のストーブというのは、人生でそれ以来二度とみたことがない。火をつけるのは、用務員さんの仕事で、子供にできるものではなかったので、火のつけ方はよくわからない。朝学校に来ると、もうついていたものである。石炭がかりという仕事は、校庭の隅にある石炭が山積みになっているところから、ブリキのバケツに石炭をいれ運んでくるのである。スコップで、石炭を救い、バケツにいれて運んでくるのだ。それを定期的にストーブに焚べるのである。なんか楽しかった記憶がある。

小学校三年の時、当時としては最新の校舎になったが、令和担った現在では、かなり古い校舎になってしまっている

1975年に建て替えられた校舎は、2020年の現在でも健在である。でも、築四十五年の古い校舎になってしまっているのである。なんか不思議な気持ちである。新品だった、校舎の思い出しかないので、古くなってしまったことが信じられないのである。外観は何も変わっていない。いろいろな思い出があって、前を通るたびに様々なことを思い出すのである。このまま、建て替えをしないでもらいたいものである。この校舎の前の瓦屋根のボロボロの校舎の写真はもうどこにもない。ギシギシいう音を思い出す。でもなんか楽しい思い出なのである。

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