辛かった漢文と古文の勉強

高校生活

大学受験の時に一番辛かったのが、古文と漢文の勉強である。自分の人生への影響を当時は全く感じられなかったからである。私は社会科の教員免許を取得することと、職業としては、マスコミ関連の企業に入りたいという希望があったのであるが、古文と漢文は一番遠い教科であると感じていたのである。英語は国際化の時代にいわずもがな。社会は、そもそも社会の教員を目指しているのだから、むしろ一番勉強したい科目である。現代国語は、文章を書いたり読んだりするのために必要なので、これも重要である。でも、古文と漢文は、まあ何かの役にはたつかもしれないが、直接的には関係ない話である。ゆえに全くモチベーションがあがらなかったのである。ゆえに古文と漢文の勉強をしている時は、胃が痛くなった。本当にキリキリ痛むのである。あとになって気づいたのであるが、私は勉強することが好きなほうなのであるが、自分がやりたくない、興味のないものを勉強する時は、本当に苦痛なのである。自分が興味をもたないものを勉強することなんて、できないタイプなのである。あの時の胃の痛みは、「そんなことをやめてしまわないと、お前はおかしくなってしまうぞ」という私自身の叫びだったのである。勉強への興味というのは、科目そのものへの興味というのもあるが、指導者への興味だったりする場合もある。でも、科目にも指導者にも興味がもてないものを学ぶなんてことは、拷問である。これは私だけに限ることではないと思う。すべての人にあてはまることだと思う。53歳になった今は、古文にも漢文にも興味はそれなりにあり、学んでみると面白いものだと気づいたわけである。若いころから、そういう気持ちになっている人もいるかもしれないが、個人差があるわけであるし、むしろ少数であろう。考えてみると、古文や漢文の勉強なんかしなくても、普通に生きていくことが十二分に可能なわけである。そういう意味では、生きていくためにはかなりプラオリティが低いものなので、本能的に私自身がそれを拒絶していたのだと解釈している。むしろそれに従っていたほうが正しかったのだと思う。でも、結果的に私は古文漢文をほとんど捨てて、現代文の勉強だけにかけていたわけで、それは正しい選択だったと思う。まあ、割り切って勉強すれば、5くらい偏差値はあがっていたかもしれないが、そんなことをしなくてよかったと思う。

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