この世に偶然は一つもないと思う

楽しく生きるコツ

この世に偶然は一つもないと思うというか、53年も生きているとそのことが実感として理解できるだけの話である。20代のころは、まったくそんなことは考えていなかったのであるが、経験値としてそれを理解できるようになってきたわけである。年齢を重ねても理解していない人もいるし、若くてもそう思っている人もいる。まあ、解釈なのである。出来事をどのように解釈するかということなのである。嫌な出来事が起きるということは、風邪で熱が出るのと同じことなのだ。熱ができることによって、運動などをせずに、自宅で休むことができて、身体の悪いところが治るわけである。嫌な出来事が起きるということは、「そこから早く逃げろ」とか「その問題を解決しろ」ということを教えてくれているのである。思い返してみると、嫌な出来事が起きて、無理してがんばっていい結果になったということは、ただの一つもない。無理してがんばったことによって、解決が遅れてしまったことはたくさんあるが、そのおかげでこんなに素晴らしいことになりましたというのは一つもないのである。とっととやめておけばよかったと思うことしかないのである。新入社員一年目で、ものすごいいじめを受けて、自殺も真剣に考えた。結局がんばってそれを乗り越えたが、あの時すぐにやめていたらどんなによかっただろうと、心から反省している。結局十数年後にやめるのであるが、あの時やめておけば、まったく違った人生を歩んでいたことが手に取るようにわかる。気分のいいことや、いい出来事は、その方向に進めという合図である。なんかしっくりいかない時は、やめておけということである。その流れに従って生きるということが正解なのである。毛虫は青菜しか食わないし、コアラはユーカリの葉っぱしか食べない。食べ物であれば、簡単に理解できるが、自分に向いている仕事や友人は、自分の感覚が一番正しいのである。幸せの定義は、自分のやりたいことを自由にやり続けることである。起きた出来事も、偶然はない。すべて必然なのである。自分のやりたいことを願い、その結果、自分の希望する出来事が目の前に現れてくるのである。それは自分の思いが具現化したものであり、必然なのである。昨日、新宿に用事があって自転車で行こうと思ったら小雨が降ってきた。仕方なく電車でいったのであるが、帰りに思い出横丁に行き、焼き鳥を食べて楽しい時間を過ごすことができた。自転車だったら、決していっていないわけである。これも必然である。小学生の時に、父とたった一回だけ同じ場所で焼き鳥を食べたことを思い出し、とても楽しい気分になった。父に対する、感謝の気持ちと、楽しかった思いでがよみがえってきた。これもまた必然なのである。

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