相模原大量殺人の犯人の言葉を聞いて思うこと

事件の深読み

中学の時に先生に殴られた。その先生はその後、校長になった。熱血漢で生徒指導を一生懸命やるいい評価だったからである。私はそのことにとても納得している。殴られたが、その先生が悪いとは思わなかった。確かに殴られて当然のことをしたという自覚があったかのだ。私がその時に期待していたのは、「ダメな先生なら殴りさえしない。殴ってくれる先生ならまだ自分に関心をもってくれている。さらにいい先生だったら、自分でもわからない心のモヤモヤを解決してくれるかもしれない」というようなことなのである。無論、当時は自覚していない。今になってみて、当時のことを思い出すと、そういうことだったんだなあと思うわけである。相模原の殺人犯人は、勝手なことを裁判で言い続け、多くの人を殺したことを全く反省していないように見える。私には、彼の心の叫びが聞こえてくるのだ。「本当に何がなんだかわからないよ。誰か助けてください」と彼は言っているのだと思う。残念ながら、現在の日本国家は彼の期待に応えることはできないので、彼は死刑になるだろう。でも彼を異常者として社会から抹殺(死刑)することは、果たして最善の方法なのだろうか?私はそうは思わない。彼は極端かもしれないが、彼と同じような精神状態になっている人間は山のようにいるわけである。かつての私のように。でもそれに対して、適切な対応を社会はしてはいないのである。死刑にすべきとか、すべきでないということをいっているのではない。病院に入院するわけでもないが精神的に問題を抱えている人間に対する対処法がほとんど存在しないことをいっているのである。この犯人の知り合いは、彼が凶行を犯すことを知っていたわけである。でも何もしなかったし、できなかったわけである。それはその知り合いの責任ではない。社会としての対応策が何もないからである。ゆえに、犯罪を犯すまではほっておかれるのである。そして、関係ない犠牲者が発生したあとに、犯人を死刑にして終わるのである。どうすればいいのだろうか?答えは、どうすればいいかを、多くの人が考えることから始まるのである。そして出てきたアイデアを議論して、何か新しい法律をつくるのである。政治家というのは、そういうことをやる仕事なのに、たいして重要な問題だとは思われていないのである。年金や消費税よりも、はるかに重要な問題であると私は思う。百歩譲って、同等レベルの問題だと思う。

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