愛とは、関心を持つことである

楽しく生きるコツ

愛は人間の感情で最も大事なものである。でも、愛という言葉は日本語には存在しないものなのである。英語のLOVEを訳せば、愛なのであろうが、日本語で愛という言葉は基本的に存在しないのである。徳川家康は、長男を信長の命令で切腹させた。愛があれば、そんなことはさせなかっただろう。現代人が愛だと思っている感情を昔の人は持つことが許されなかったのである。徳川秀吉は義理の息子で親戚である関白秀次を切腹させている。愛があれば、そんなことはしないわけである。彼が自分の息子であり、秀頼に後を継がせたかったのは愛ではないと思う。自分の単なるエゴである。彼の本当の幸福など願ってしなかったのである。自分の息子が、後を継ぐということだけに拘泥しただけであり、愛などというものではない。その証拠として、一族は滅亡したではないか?愛があれば、少なくとも滅亡は避けられたと思う。まあ、彼だけでなく、彼を象徴するように、当時の日本に愛という感情は押し殺されていて、基本的に存在していなかったのだと思う。だから、日本人というのは慈悲深い民族だとは思わない。けっこう非常な人種だと思う。戦後になり、欧米の考え方が少しづつ浸透してきて、愛という考え方が広がっているのだと思う。愛とは、冒頭で述べたように、相手に関心を持つことである。相手のすべてに関心を持てば、相手が不快になるようなことをできるだけ避けてあげたいと思うわけである。関心のない人間には、そんな気持ちになることはない。誰にも関心を持たれなくなった人間は、生きる価値がないと思う。山奥で一人で生きている人は存在するわけであるが、もしその人自身が自分のことに関心を持っているのであれば、それはそれでいいのである。唯一関心を持っている人が、自分であっても、他人であっても問題ないと思う。一人で暮らして、誰にも関心をもたれずに、自分さえも自分に関心がなくなったら、それは終わりなのである。人間なので、様々な状況があり、いつも楽しいことばかりではない。つらい状況になることもあるわけだ。その時に、自分がつらいということに関心を持ってくれる人がいれば、人間はそのつらさを乗り越えることができるのである。まずは自分自身に関心を持ち、誰か好きな人に関心を向けることである。自分のことを嫌いな人に関心を持つことは、人生の無駄であるというより害悪である。他人からの悪口を気にする人はそれである。なんで、自分が嫌いな人に関心を持つ必要があるのだろうか。無視して関心外にすればいいだけの話である。どんなにつらいことでも、誰かが関心を持ってくれれば乗り越えることができるのである。私は二人の息子がいるが、ものすごい関心を持っている。だから、過剰に接することもしないし、過小にすることもない。必要だと思う範囲でかかわることが重要だと思う。植物を育てるのといっしょで、肥料をやりすぎてもいけないのだ。時には何もせずに放っておくことも重要である。放っておくけど、見てはいるのだ。台風や大雨が来たら、対応してあげないといけないからである。見ているだけで、手を出さないというのも結構大変なものである。

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