相模原殺人事件で死刑判決、私が死刑制度に反対する理由

事件の深読み

相模原大量殺人事件の犯人に死刑の判決が出た。彼は控訴しないといっているので、比較的近いうちに死刑が執行されるだろう。池田小学校殺人事件の犯人のケースに酷似している。ターゲットが小学生か身障者の違いだけである。過去の日本の判例からすれば、当然すぎる判決である。予定調和といってもいいくらいの妥当な判決だと思う。私は死刑に反対している。彼を殺しても何も生み出さないからだ。彼が殺した行為と同様に、誰かの手によって彼は殺されるのである。目には目を、歯には歯を、命には命を、という世界最古の法律であるハンムラビ法典の考えをそのまま踏襲した判決が、令和の時代にふさわしいとは全く思えないのである。冷静に考えよう。彼を殺して何になるのだ。彼を殺しても死んだ人がかえってくることはない。これから彼を殺すために、法務大臣がハンコを押し、執行官が彼の首に縄をかけ、誰かがボタンを押して床が抜け、彼が死ぬのだ。その彼の遺体をかたずける人もいるわけで、彼らの気持ちを考えてことがあるだろうか?世界中の多くの先進国で死刑が廃止していることはどうでもいい。普通に自分の頭で考えよう。人を殺した人を、おなじように殺すことで、社会がよくなると思えないのだ。それよりは、難しいかもしれないが、なんとか犯人に改心してもらえるような教育を施すとか、罰として仕事をさせるとかのほうがはるかにマシだと思う。無論、改心しない人も多いと思う。でも、何人かは変わる可能性があると思う。そういう可能性が少しでもあるなら、そこに賭けるほうがいいと思う。社会に適合しない人間を排除して殺すという制度が死刑制度である。多くの日本人にはそういう排他的な差別意識がとても強いと思う。ゆえに死刑制度がなくならないのだ。日本人は気づかないところで、多くの差別をしている。例えば年齢による差別である。定年制なんて最たるものだ。個人差があるのだから、一律に年齢で退社させるなんて、とんでもない差別である。でも多くの人は普通だと思っている。米国では履歴書に生年月日も性別も書いてはいけないし、容姿で選んでもいけないから写真を貼ってもいけないのだ。犯罪者の人権が被害者の人権より重いとか軽いとかいう問題ではない。基本的人権について、しっかり考えることが重要である。犯罪者でさえ、きちんと生きることのできる社会を我々はつくらないといけないと心から思うのである。

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