自分の直感を信じることの大切さ

自分の直感だけで生きている人のことを天才という。エジソン、松下幸之助、イチローなんかはそういう人の代表である。彼らが特別な人間だとすれば、彼らが直感だけで生きているところが特別なのである。「なんとなくいやだなあ」「なんとなくいいなあ」と思う感覚だけですべてのことを判断していきていくと、エジソンだったりイチローみたいになるわけである。簡単な話である。でもそれをある程度継続して実施している人がとても少数なので、彼らが目立ってしまうだけなのである。こういう人は必ずしも偉人になるわけでもない。一方で変人として終わってしまう例のほうが多いのである。ただし、共通項がある。両者とも幸福度は同じくらいなのである。偉人になるかどうかは、状況次第である。なったりならなかったりするのだ。でも幸福であることは間違いない。幸せとは、直感に従って生き続けることなのである。他人のいうことは気にしてはいけない。青虫が青菜だけを食うように、すべての人間にはその数だけの個性があるのである。サッカーの仲田は野菜を一切食べない偏食だという。それでも日本一のサッカー選手になるのだ。直感というと、スピリチャルなものだと誤解する人がいるが全く違う。自分がどう感じるかということなのである。自分が感じて「いい」と思ったことだけを、し続けることがどれだけ大変なことか、すべての人類はそれを知っているわけである。だから並みの精神力ではできないのだ。正しいこととはどんなことなのか?真剣に悩み考え、そして出てくる結論は、自分の感性に従うことである。それ以外に正解はないのである。やりたいことをやるというより、やりたくないことをやらないというほうが正確な気がする。やりたくないことをやらなければ、結果的にやっていることのすべてが、やりたいことになるからだ。人生とはとても楽しく素晴らしいものである。できれば毎日笑ってすごしたいものである。笑い続けるということは、そんなに簡単なことではない。本当に笑い続けていて、金がなくなってしまったら笑えないからだ。笑い続けるためには、安定して仕事をしなければできないのだ。過剰にやり過ぎても笑えないし、少なくても笑えない。適切な量で、それなりに負荷がないとつまらないものである。自分にあった負荷でないとつまらないのだ。探していれば必ずみつかる。そして大事なことは、まわりにいる人が自分が大好きな人であり続けることである。これはとても重要である。宗教団体に所属している人が、いい意味でも悪い意味でも幸福そうに見えるのは、仲間がいるからである。できればああいう大手の教団には所属したくはない。なんか、違うような気がするからだ。ああいう場所で幸福になれるのであれば、それはそれで否定する必要はないと思う。すべて自分しだいである。かつては私も新興宗教にどっぷりとはまっている時期があったのであるが、あのころはある意味幸福だったと思う。でも今のほうが幸福である。自由だからである。自由を謳歌しながら、好きな人とやりたいことをやって、笑いながら生きることが、幸福だと思う。笑うためには、自分のためだけでなく、他人や社会のためになることをやっていないと、笑えないものである。ゆえに幸福になることは簡単ではないのである。

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