150人収容のカラオケ屋で盛り上がった若い頃(1989年ごろ)

日常の出来事

私の大学時代、一番楽しかった思い出はカラオケだった

1989年ごろというのは、パソコンのかけらもない時代で、ワープロを打てることが特技になる時代だったのだ。現在のような通信カラオケなどというものは存在せず、カセットテープでのカラオケがメインだった時代である。カラオケの曲数もかなり少なくて、最新の歌などは存在していなかったものである。

新宿にあった「てあとろん」というカラオケ屋

大学三年生のある時、高校の時のクラスメートのMが、「土曜の夜、飲みにいかない?」と誘ってきた。いっしょにSとEも来るというので、行くことにした。新宿3丁目にある店にいくと、度肝を抜かれた。店内は満員で、着席で150人くらい入っていたのだ。店の中央には舞台があり、そこで若いロッカーみたいな奴が、当時流行っていたBOOWYのマリオネットを熱唱していた。観客は熱狂し、いっしょに踊っている奴や、大声を出している奴がいた。私はこの異様な空間に、一瞬でのまれてしまった。となりにいたMが、「お前も後であそこで歌うんだぞ」とつぶやいたのであるが、何がなんだかわからなかった。

この写真は、カラオケが人気がなくなり、店のオーナーが商売替えで、結婚式の二次会事業にしてしまったあとのテアトロんの店内の写真。昔はあのステージで多くの若者がカラオケを歌っていたのだ。

このカラオケ屋のシステムについて

席についてしばらくすると、我々のテーブルに順番が回ってきた。この店のシステムは、グループの人数に応じて順番にカラオケを舞台の上で歌えるというものなのである。歌いたい曲を机の上にあるカードに書いて店員に渡すのだ。これがすごいのであるが、すべて手書きで書かれている曲名リストがあるのだ。それをコピーして、汚れないようにビニールでパッケージされて各席に置いてあるのである。曲数は膨大なので、百科事典のようなリストが数十冊おいてある。肝心のカラオケはどうなっているかというと、すべてカセットテープなのである。客からリクエストがあると、店員はその膨大な棚の中からテープを探し出し、そのテープの何曲目にその曲が入っているのかを確認し、手作業で頭出しをするのである。まさに機械人間である。令和の現在では信じられないようなことを、平気な顔で彼らはやっていたのである。考えてみるとわかるが、手書きで書かれているリストなので、新曲が出た場合には割り込めないのである。ゆえに、新曲は、「新曲」というリストに入っているのだ。歌詞カードは、すべて手書きだった。ワープロさえそんなに普及していない時代である。すべて手書きで書かれていた。

ぶさいくで、デブのMがステージの上で輝いていた

その日、我々のグループで最初に舞台に立ったのはMだった。Mは太っていて、顔もお世辞にもハンサムとはいえなかった。太って背の低いフランケンシュタインといっもいいだろう。彼は席につくやいなや、すぐにリクエストカードを書き店員に差し出していたのだ。もう慣れている。「果たしてどうなるのだろうか?」私には全く想像できなかった。彼が選んだ曲は、ZIGGYのグロリアだった。フラッシュライトが光る舞台の上で彼は本当に輝いていた。高校生活3年間の間に、決して見せなかった彼の別の顔を見て私は驚愕したのだった。「完全に俺は負けている」私は敗北感というよりは、彼に追いつきたい、俺にもできる、というように考えていた。彼を超えるような、歌を俺も歌ってやると心に誓い選曲を開始したのである。この夜は、とても混んでいて、店に入ったのが23時ごろで、次に私がステージに上がる順番が来た時は、明け方の4時ごろだった。もうだいぶ店内も落ち着いてきて、くたくたになって寝ている人もけっこういた。でもみんな始発で帰るから、この時間に帰るやつはまずいないのだ。電車待ちなのである。私が悩みに悩んで選んだ曲は、佐野元春のヤングブラッズという歌だったが、まったく受けなくて、ほんとうに恥かしかったのを思い出す。爾来、二度とこの歌を人前で歌うことはなかった。自分がいいと思った歌と、大勢の前で受ける歌は、全く別なのである。そのことを教えてもらったのである。

それから週末は必ずテアトロんにいくようになった

それから週末は必ずこの店にいくようになった。カラオケが歌いたいというよりは、女の子をナンパできるということのほうが重要だったかもしれない。我々が男同士できているように、女の子は女の子どうしできているのである。となりに座り合えば、自然に仲良くなり友達になれるのである。三回に一回くらいは、誰かがカップルになったものである。そのころはディスコとよばれるナイトクラブが盛んであったが、踊りなんか踊れないわけである。今まで一度も踊ったことがないのに、いきなり踊れといわれても無理だと思う。よく、みんな踊っていると思う。きっちりとステップを教えてくれる人とかスクールがあればいいのであるが、そんな奴も場所も全くしらないし、それでディスコで踊るなんてとても無理である。とはいいながら、ナンパ目的でたまにはいっていたのであるが、カラオケのほうが100倍楽しいのである。

そこでできた彼女がすごかった

何回か通っているうちに、私もその店である女の子と出会い、付き合うようになったのである。その女とは、出会いはこの店だったが、この店に2人でいくことは二度となかったと思う。まあ、カラオケがそれほど好きというわけでもないのである。無論きらいではない。彼女は酒乱で、一度私の部屋で大暴れをして、警察が来たのを思い出す。「おまわりさん、この男が私を殺そうとしました」と言われた時は、本当に脱力した。殺されそうになったのは私のほうである。彼女に瓶でなぐられて、ひたいからだらだらと出血し血まみれになったのをおまわりさんにみせたところ、彼らも慣れているようですぐに状況を理解してくれたものである。まあ、若き日の楽しい思い出である。彼女とはしばらく付き合ったが、しばらくして別れた。それでも一年くらいつきあったかもしれない。なんか、なつかしい。

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