誰かを蹴落とすのか?誰かと一緒に生きるのか?

生きる理由

受験というのは、誰かを蹴落とすことである。自分が合格したことにより、誰かが合格しなくなるからだ。まあ、椅子取りゲームである。そういう椅子取りゲームをいろいろなところでやっていて、超一流会社の社員、官僚、一流のスポーツ選手なんかは、そういう世界の頂点である。それが悪いことなのか、いいことなのか?それはなんともいえないわけである。いいのかもしれないし、悪いのかもしれない。その一方で、誰かといっしょに生きていくという発想もあるわけである。無人島で二人で生活していたら、競争なんかしているわけにはいかない。いっしょに頑張るしかないのである。起業するというのは、そういう感じな話なのである。競争なんかしている余裕はないのだ。いっしょに頑張るしかないからである。無論、仕事自体はどこかの企業との競合になるわけであるが、厳密に同じ土俵で勝負するビジネスなんて存在しないのである。一見ライバルにみえる、アンドロイドとiPhoneをみればわかる。競争といえば競争かもしれないが、それぞれが別次元にいるわけである。むしろ、両者が競うことにより全体のパイがでかくなるわけで、相手に勝とうなんて意識はあまりないと思う。何がいいたいのかというと、誰かを蹴落とすのではなく、一緒にいる人と楽しく幸せになるためにどのように生きるかということが重要なのだということをいいたいのだ。人間なのだから、調子が悪い時もあるし、病気になるときもある。そういう時でもいっしょに支えあって生きることはとても大事なのである。なぜなら、いつ何時、自分がそういう立場になるとも限らないからである。そうなったとしても、周りの人が支えてくれるという安心感があると、のびのびと自由に楽しく生きることができるからである。この間、3歳くらいの女の子がバスのデッキから大きくジャンプして、お母さんに叱られながら大笑いしていたのを見た。お母さんは、「本当に危ないんだから、そんなことしちゃダメ」と青い顔をしていたが、女の子はお母さんが見てくれているという安心感があるから、そういう挑戦ができるのである。仮に転んでけがをしても、お母さんが何とかしてくれることを知っているのだ。人間にはそういう支えてくれる人たちの存在が不可欠なのだ。ヤクザが刑務所に入っても、出所したら温かく迎えてくれる仲間がいれるから、安心して刑務所にいることができるのだ。無論、暴力団を容認するわけではないが、彼らが存続し続けている理由はそういうところにあるのだと思う。一般の企業であれば、社員の絆なんてほとんどないわけである。上っ面だけで付き合っているところがほとんどである。大手企業なんて99%そうである。そういうところは、競争に勝ち残ってきた人しかいない組織である。一緒にいる人と助け合って楽しく生きていくことってとても重要なのに、それができている組織があまりないわけである。相手のことを考えることができる人に会えたなら、その人を離してはいけない。世の中にはそんなに多くいないからである。

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