コロナ問題と、薬害エイズ事件は同じである

事件の深読み

首都封鎖間際、戦後最大の危機が現在である

現在、日本が封鎖されるかどうかの瀬戸際である。第二次世界大戦以降で最大の危機になっているのだと思う。コロナウイルスの問題でもっとも問題なのは政府による意図的な隠蔽である。政府が五輪を開催したいということが最優先だったため、人命が犠牲になったのである。五輪が延期になった翌日から、「まってました」とばかりに、多くの問題が出てきたことを偶然と思っている人がいるのであろうか?大手マスコミはそのことに一切ふれずに、政府にとって都合のいい情報だけを垂れ流している。ここで、思い出されるのが薬害エイズ問題である。

薬害エイズ問題とは

薬害エイズ問題とは、1980年代に起きた、医療関連の事件である。血友病患者に有効な非加熱製剤を投与すると、その患者がエイズに感染する危険性がわかっていたにもかかわらず、身内の利益のために患者に投与を続け、多くの新たなエイズ患者を発生させてしまった事件である。現在も国会議員である川田龍平氏はその被害者である。ようは、金儲けのほうが人命より優先したという事件なのである。

コロナ問題は薬害エイズ事件と全く同じ構造である

先週までの政府の最優先事項は、東京オリンピック開催だったのである。人命よりもこっちのほうが優先されていたのである。ようやく延期になったので、五輪の次に大事な人命を優先させようとしているのが現状である。これだって、あてにならない。本当に多くの人の命を救うよりも、自分たちの利権を維持することのほうが優先されるわけで、そう指摘された時の言い訳をつくるために、彼らはすごい努力をしているのである。そういう意味ではプロフェッショなるである。

薬害エイズ問題で、人身御供にされた阿部英

薬害エイズ問題では結局一番悪い人間は、帝京大学の阿部英という人になったのである。本当はもっと上のレイヤーに本当の首謀者が存在していたのであるが、ちょうどいい生贄にされたのである。考えてみるとわかるが、彼は東大医学部を卒業しているが、国立大学の教授ですらないのだ。医学会では隅っこのほうにいる私立で新興大学である帝京大学の教授なのである。この国を支配する人間からみると、「下々」に分類される立場なので、生贄としてはふさわしいと判断されたのである。よって、彼がすべての責任をとり、世の中から駆逐され、一件落着になったわけである。

コロナウイルス問題も同じ構造である

たった1ヶ月前に、森喜朗元総理が「東京五輪が延期するわけがない」とかいっていたのを忘れてはいけない。あの時点も、現在も状況は同じである。五輪を開催するということは、経済を優先させるということである。人命優先ではないのである。もし今後、なんらかの証拠があがってきて、現在の政府を糾弾するような事態になったとすると、薬害エイズ事件の阿部英のような人身御供が出てくることは明白である。決して安倍さんだとか森さんなどに、飛び火することはないようにできているのである。

日本と北朝鮮はそんなに変わらない

多くの人は北朝鮮の報道がでるたびに「とんでもない国だ」と思っているかもしれないが、日本もたいして変わらないのだ。その証拠に、多くの人は日本政府を信頼しているではないか。北朝鮮だって同じである。普通に生活している市民のほとんどは、政府の発表することを信じているのだ。第二次世界対戦中、日本では、「天皇陛下万歳」といって多くの若者が特攻隊で死んでいったわけで、政府のいうことを信じていたのである。現在も基本構造は全く同じなのである。

自分のことは自分で守るしかない

これも事実なのであるが、相対的にみて日本は最悪の国家ではない。でも、多くの国民が思っているほど、いい国家でもないのだ。米国の最大の問題の一つは銃規制がされていないことであるが、その点では日本のほうが住みやすいかもしれないが、それ以外の点では米国のほうがはるかにマシである。日本政府のいうことを鵜呑みにしていると、被害を受けるのは自分自身である。第二次大戦で、本土決戦とかいって原爆を落とされたり、空襲で多くの市民が死んだわけである。彼らはそんなことは、気にしていないのである。自分たちの利益を守ることと、それがバレないようにすることに最大の努力をしているのである。彼らのいっていることの意味をどのように解釈するかということが重要なのだ。鵜呑みにしてはいけない。おそらくコロナウイルスには、我々が知らないもっと恐ろしい秘密が隠されているのだと思う。それを公表するとパニックになるから秘密にされている可能性が高いと思う。それをいえないかわりに、世界中の都市では封鎖されていると考えるのが妥当だろう。状況証拠から類推するということがとても重要なのである。日本人の多くは、証拠さえなければなんでもできると思っている。世界的には証拠よりも、状況証拠のほうが重要である。米国の裁判制度で陪審員制度をつかっているのがその証拠である。米国の裁判では、弁護士と検事の話を聞いて、どっちが正しいのかを一般人が自分で判断する方式なのである。証拠はあってもなくてもいいのだ。ここが日本とは決定的に違うのである。世界標準で考えないと、生き残っていくことはできない。

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