コロナ問題は必然だったと考えること

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なぜ、コロナウイルス問題が起きたのだろうか?巷でいわれているように、生物兵器だったのだろうか?それが事実であれ、嘘であれ、そんなに大した問題ではない。起きてしまったことには、すべて必然の意味があるのである。コロナ問題が起きて、人々は多くのことに気づきはじめた。まわりの人を大切にすることの重要性だったり、普通に生活できるということがどれほど有難いことであるのかだったり、様々な気づきがあるわけである。別の視点で見ると、大都市の脆弱性を認識できたわけである。首都圏に一極集中していることのリスクに気づくきっかけになっているわけである。食料自給率だけでなく、中国などに依存している工業生産物の委託が大きなリスクであることも気づいたではないか。マスクがいい例で、そのほとんどを中国生産に依存していたから、日本にないわけである。安いからという理由で、海外生産を続けていたが、それを見直すきっかけになるはずである。在宅勤務もどんどん促進されるだろう。本当にリアルで会って話をしなければいけない状況って、実はそんなに多くないことに気づいたわけである。月に一回くらいは会ったほうがいいかもしれないが、それは懇親会だったりするかもしれない。よく考えてみると、人口が減少している日本で、首都圏の人口だけが増加しているということがいかに異常であるかということだ。ガラガラの地方にどんどん移住すれば、それだけで人々が豊かな生活ができるわけで、しかも、こういう病気の発生リスクも抑えるわけである。平日、都心で働いて、土日はゴルフやスキーや波乗りにいくような生活をしていたが、都心でなければできない99%のことは仕事だけである。その仕事が地方でできるなら、地方で暮らすほうがいいに決まっている。想像してみよう。都心ではなく、地方の過疎地域が今どのようになっているか。外に出るなといわれても、もともと誰もいない村である。電車もなければ、行列のできる場所すらないのだ。そういう安全な場所が日本には、ごまんとあるのである。人間はなんのために生きているのか?金をかせぐためか?出世するためか?有名になるためか?そうではない。それらは目的ではなく手段である。生きる目的は、幸福になるためである。経済的に拡大することは幸福になることとイコールではない。すべての人が、本当の幸福は何かについて、考えるきっかけになっていると思う。考え方を改めるのには、これくらいの劇薬が必要なのだ。太平洋戦争で原爆を落とされたから、日本人は考えかたを変えることができたわけである。こういうきっかけは、ありがたく活用すべきである。私にはバラ色の未来しか見えない。

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