お互いに助け合いたいと思う人がいることが、生きる喜びである

生きる理由

自分だけが助かって、世の中に自分ひとりだけで生き残る世界を想像したことがあるだろうか?

誰もいないのだ。自分1人だけである。自分の死がそのまま人類の滅亡であるというような状況

である。その時点で、人類は絶滅しているといってもいいのだ。

でも刹那的に生きている人は、何も感じないのかもしれない。

あれだけ身勝手に生きた豊臣秀吉でさえ、死ぬ前には自分の子供の将来のことを祈ったという。

でも、彼の行いの報いで、彼の一族は1人残らず殺されてしまい、現在生きている人は

1人も存在しない。

誰かと助け合いたいと思う人がいるかいないかで人生は決定されると思う。

家族である可能性が高いが、そうでなくても関係ないのだ。誰でもいいので、

いっしょに助け合って生きていこうと思える人がいるかどうかで人生は決定されるのだ。

自分だけが生き残るということは、滅亡と同義語なのである。

繁栄とはともにわかちあうことであり、助け合うことである。

人類全てが繁栄することが望ましい。

でも、それを同時に実現することはできない。

まずはある程度、身の回りの人だけの幸福を実現し、その範囲を少しづつ広げていく

という作業が現実的である。

1人の人が誰かと助け合い、その人がまた別の誰かと助け合い、その連鎖がつづいていくと

あっというまに、広がっていくのだ。そう、コロナウイルスのように。

コロナウイルスの問題は、否応無しに、絆の重要性を意識させてくれる。

もし、今の職場が、誰もお互いのことを考えることのできないような殺伐とした場所なら、

そこにいる価値はないということである。どんなに金が稼げるとしても、その場所は

いるべき場所ではないのだ。

たいして稼げなくとも、絆を感じることができる仲間がいる場所であるなら、

その職場はかけがえなのない場所なのである。

なけなしのトイレットペーパーをお互いで分かち合えるような仲間がいる場所であるなら、

そこは素晴らしい居場所なのである。

コロナウイルスの問題は、我々に様々なことを教えてくれているのだ。

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