質実剛健とは、「中身が充実して飾り気がなく、心身ともに強くたくましいさま」のことである。
今までの日本はそれとは反対の社会だったと思う。
結果としてそうせざるをえないくなるのだ。装飾がなくなり、実質的な価値だけで
判断されるようになるのだ。
ゴルフ場で考えてみる。キャディがいなくなり、大きな風呂も、豪華な食堂もなくなる。
ただ、プレイして帰るだけの場所になる。
プレイヤーの満足はどうなるだろう。料金は半額以下で、早く帰ることができる。
腹が減れば、コンビニで買ったおにぎりかなんかを食べながらプレイするわけだ。
満足度が下がるのだろうか?
冗談ではない。これで3000円でプレイできるなら、満足度ははるかにあがるわけである。
米国ではこれが普通である。
私が米国に住んでいた時、近所のゴルフクラブのプレーフィーは14ドルだったから、1500円
くらいなのでもっと安いくらいだ。
必要のないものは、どんどんなくなっていくだろう。
満員電車が当たり前だと思っているのは、東京生まれで東京育ちの私のような人間だけ
である。世界的にみると、1%も存在しないのである。
今まで、当たり前だと思っていたものが、どんどん無くなっていくだろう。
結果的に、現在当たり前だと思っているビジネスの半分くらいは世の中から
消えていくだろう。その次に出てくる新商売は、今までの問題をすべて
解消した画期的になったものであるわけだ。
こういう大事件がないと、世の中は変革できないのである。
明治維新で世の中が変わったほどではないかもしれないが、
相当大きく世の中は変化していくのである。
どう変化するかが重要なのではなく、変化することが重要なのである。
変化して、またもとに戻ることもあるが、それはそのまま継続していたのとは
意味が違うのだ。でも、元に戻ることは99%ない。たいていは、新しい方向に
進んでいくのである。それが人類の歴史であり、生物が発展していく法則である。
この変化を楽しむくらいでないと、うまくいかない。
500年前と、現代を比べてみると、とてつもなく大きく変っていることがわかる。
実は日々、世の中は変化しているのだ。
朝の来ない夜はない。