政治家も含めた多くの役人たちの思考回路は責任の回避である。
自分の責任になるようなことを回避したいというモチベーションで彼らは行動しているのだ。
ここが事業経営者との決定的な違いである。
事業経営者は責任問題などどうでもいいのだ。自分の企業を守ることを最優先で考えるので、
最善の方策をとることができるのだ。多くの経営者が早めに事業を畳んでしまうのは、
それが最も合理的であると判断したからである。
最悪の選択肢というのは、企業倒産ではない。場合によっては、破綻させることが
最善の場合も数多くあるのである。売り上げがないのに、負債が数億円の企業を存続
させるほうが社会悪である。とっとと清算するほうが、いい場合はたくさんあるのだ。
ところが、役人たちにそういう思考回路はない。
日本国が倒産する可能性は低いので、彼らのモチベーションは自分に責任が及んで責任を
とらされないようにするためにはどうするかだけである。
国民の安全なんて、どうでもいいのだ。詭弁としてよく使用するが、それは詭弁である。
詐欺師が裁判で「私は悪いことをやっていません。天地天命に誓います」といっているのと
あまり差はないのである。
彼らは上げ足を取られないように、最善の方法を模索し、そのための根回しには
本当にぬかりがないのである。だから、多くの人は信じてしまうのである。
ややこしいのは、部分的に本当のことをいっていたりするので、どこまでが嘘なのかは
よくわからないことである。
ゆえに、こっちが真剣に考えて、彼らのいう意味にはどういう裏があるのかを見定めていく
必要があるのだ。彼らの目的はある意味簡単である。トップである事務次官にどう評価
されるかである。担当大臣でもなければ、首相ですらない。事務次官が最高権力者なのである。
事務次官は勝手に忖度をして、役人たちにとって最高の状況はどのようなことなのかだけを
日々真剣に考えているのである。その能力が最も高いとみなされた人間が事務次官になる
のである。万が一にも国民のことを優先し、自分たちの利益が損なうようなことになったら、
水の泡である。だから慎重の上にも慎重に考えているのだ。あからさまに、国民から非難
されるようでは役人失格である。バレないように、こっそりと入念に計画をして、
自分たちの利益が最大化するように、日々努力しているのである。ゆえに、コロナ問題は
そう簡単に解決できないのである。