ゲイには様々なタイプがいる。

芸能人(芸人)タレント

LGBTという言葉が普通になった昨今であるが、このうちのおそらく最大のボリューム

ゾーンであるゲイに関しては本当に様々なタイプの人が存在する。ひとくくりにゲイと

いってしまうのが不可能はほど様々な種類の人がいるのである。

ゲイと呼ばれている人でも、本人はゲイだとは思っていない人も存在すると思う。

以下、具体的な例について解説させていただく

リッキーマーティン:ナルシストタイプ

リッキーマーティンは、ものすごいハンサムである。

あまりにもハンサムすぎる人間は、自分自身を愛してしまうという。

ナルシシズムである。自分が男なので、結果的に男を愛してしまうというタイプである。

ハンサムなゲイは、このタイプが多いという。昔、私が読んでいた漫画で、

「あまりにも女にもてないので、ホモになるしかない」というキャラクターが

あったのであるが、実際にはそういう人はほぼ存在しないと思う。

完全に偏見であり、現実は逆なのである。モテすぎて、ゲイになる人の

ほうが多いのである。

おすぎとピーコ:生まれながらに女性の気持ちをもった人

おすぎとピーコは、双子のゲイである。二人とも子供のころから、

女性の気持ちだったという。

母体にいる時すべての男性は最初女性であり、女性を経て男性になるのである。

その証拠に男性には乳首があるのだ。

身体は男性に変化しても。心は女性のままの人が多数いるのは、むしろ

普通のことなのかもしれない。

逆に、身体は女性のままで、心だけが男性になってしまう人のほうが

少ないのはなんとなく理解できる。

おすぎとピーコの二人は、ゲイであるが、二人には大きな違いがあるのだ。

おすぎは性行為をするらしいが、ピーコは生涯プラトニックなのだという。

同じようで、全然違うのである。

藤竜也

昔、おすぎがラジオで、「藤竜也さんと関係を持ったことがあるよ」といって

いたが(『フジクン』といっていた)、藤竜也は超ハンサムだから、おそらくリッキーマーティンタイプだと

思う。おすぎは、やりちんなのだ。

はるな愛:心も体も女の子になってしまったタイプ

有名タレントのはるな愛は、手術をして男性ではなくなってしまったタイプである。

心も体も女性になりたいと思い、性別を変えたわけである。

このタイプは生まれながらに女性だと思っている人も、

後天的に女性になりたいと思う人も両方いるようである。

マツコ・デラックスは、格好は女性であるが、肉体的には男性のままである。

でも男性が好きなわけである。

尾木ママ:見た目も中身も男性であるが、しゃべり方が女性

尾木ママは結婚して娘もいるわけであるが、しゃべり方だけが女性なのである。

性的には男性のようであるが、彼は果たしてゲイなのだろうか?

格好も男性である。キャラをつくっているわけではなく、それが

自然なようである。

ゲイではないような気もするが、分類すればゲイなのかもしれない。

もうこうなってくると、わけがわからなくなる。

方言のようなものかもしれない。

私の知り合いのKさん:男として男が好きなタイプ

私の知り合いのKさんは、ものすごいハンサムなゲイである。

彼は女役(ネコ)であるが、見た目は男性のままである。女装したことも、

したくもないそうである。あくまでも男性として、男性が好きな

人なのである。逆の見方をすれば、そういうKさんを好きなゲイの人も

たくさんいるわけである。普通のゲイである。

個人的はタチ(男役)の人はなんとなく理解できるのであるが、

男性の恰好のままでいるネコの人が、なんとなく理解しずらいのである。

はるな愛のように、性転換をしてしまうほうが理解できるのだ。

まあ、人それぞれということなのである。

カズレーザー:両刀

芸人のカズレーザーは、両刀であることを公言している。

「男であれ女であれ美しい人に魅かれてしまう」とのことで、

バイセクシャルだそうである。

意外に感じたのであるが、ネコ(受身)だそうである。

実は無限の組み合わせがあるのだ

本当に様々なタイプのゲイの人が存在するのだ。

タチとネコを両方OKな人もけっこういるそうである。

リバーシブルなので、「リバ」と呼ばれたりするらしい。

これ以外にも、女装癖はあるが、セクシャルには男性という人も存在して

いるのだ。

こういう人たちを、ひとくくりに「ゲイ」と呼ぶことのほうが無理があると

感じるわけである。いわば、人格や好みに分類されるべきことなのである。

ゴルフが好きで、テニスが嫌いな人がいるようなものかもしれない。

けっこうこの話は重要な話だと思うが、誰かにきちんとレクチャーされることも

なく、たまたま興味を持ったわたしのような人間が調べて

知るようなテーマになってしまっている。

本来は、学校などできちんと講義を受けるような話だと思う。

だから誤解している人も多いわけである。

むしろ正確に認識している人のほうが少数だと思う。

私の知識にしても本当にそれが正しのかも、自信はないのである。

令和の時代であれば、むしろ中学くらいの授業でしっかりと講義す必要が

あるようなテーマであると

私は思うのである。

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