桜の咲く時期に入学すると気分が高揚するとか、今までの伝統を守りたい
とか理由はあるわけである。
世界的に見ると学校の入学は9月が主流であり、留学をしたり、受け入れたりするには
9月のほうがいいに決まっているのだ。
せっかくこんなにいい機会ができたのに、9月入学に移行しない理由なんて
ないわけなのに反対する人は多数いるのが現実だ。
日本人の特性に、「とりあえず反対する」というものがあると思う。
「とりあえずやってみよう」と思うのと対局である。
反対するための理由を探すときには、とんでもなくクリエイティブで、
考えられないようなアイデアを出したりするのだ。
「いかに自分がそれに反対するか」というときに、全力をあげるタイプである。
感覚的にはそういう人が9割である。
新しいことをやると、必ず問題は起きる。
昔は、薪で火をおこしていたが、それがガスや電気に変化していったわけである。
そのときも多くの人が反対したはずである。
人間というか生き物は変化をしないと生きながらえることはできないのに、
一方で変化を嫌うという傾向があるのだ。
矛盾しているが、事実である。
そこで変化をしたものだけが生き残っていくように、できているのだ。
簡単なことである。
どう変化するかではなく、変化すること自体が正しいのである。
もし、9月入学制度に問題があるなら、4月に戻せばいいだけの話である。
おそらく問題はないので、戻らないと思う。
ガラパゴスにいて、変化をしないで生きている生き物は、いずれ滅亡するわけである。
今は意図的に生かされているが、何かが起きたときに一瞬で消え去る運命なのだ。
変化に反対する人というのは、これから消えていく人たちなのである。
ある程度の抵抗勢力がいることも必要なのだ。
そいつらの反対くらいで潰れてしまうような考えはないほうがいいからだ。
変化することを楽しむことができないと、生きていくことはできないのである。