息子のiPhoneの電池交換をした

日常の出来事

iPhoneの電池交換は慣れると簡単なので、自分でやっている。

アマゾンで、電池を購入するとだいたい1200円~2500円くらいなので

最安のものを購入する。差が出ることは、ほぼない。

万が一ダメだったら交換すればいいだけだ。それがAmazonの最大のメリットである。

作業時間は、10分くらいである。難しいのは1つだけで、

電池を固定してある両面テープをドライヤーで温めて外しやすくすること

だけである。これはかなり熱しないと剥がれないし、やりすぎると

ぶっ壊れる可能性もある。(壊れたことはないが・・・)

本当は電源を切ってやるべきなのだが、電源をつけたままでドライヤーで

熱し続けたら、「機体に異常な熱があります」との表示が出た。

さすがiPhoneである。

今回、一回びびったのが、作業が終わって、電源を入れても動かなかったのだ。

電池が空だったのである。たいていは、80%くらい充電されているものであるが、

今回は空だったのだ。

何か他に問題があるのではと、ビビってしまったのである。

結果的に問題なく動いている。経験値からいうと、iPhoneのトラブルの95%は

液晶とバッテリーである。これ以外のところに問題が発生することは

ほとんどない。

でも、私の古いiPhone6Plusは本当にお釈迦になってしまったようである。(別のはなし)

液晶を変えても、動かないままである。本体のCPUに異常があるようだ。

もうこうなると、どうしようもない。足を骨折した競走馬のようなもので、

安楽死しか道はないのだ。

考えてみればわかるが、CPUを変えて、液晶を変えるということは、ほぼ

新品である。作業工賃を考えると、新品のほうが安くなるだろう。

そう考えると、iPhoneという製品はどこまでが部品で、どこからが商品そのものなの

だろうかと考えるわけである。

なんか哲学的である。

人間も同じである。切った髪の毛は自分でなくなるのかもしれないが、脳が

なくなれば自分ではなくなるだろう。でも、脳の一部分が欠けて、

生き続ける場合はどうなるのだろうか。

人間にしろ、商品にしろ、すべてのものは、アバターのようなものなんかもしれない。

実体があるようでないものなのかもしれない。

話が大きく脱線してしまった。

電池の話をすると、私はできることはできる限り自分自身の手でやってみたいという

考えかたがあるのだ。それを他人に任すことは問題ないが、

自分自身がある程度やれるということが重要なのだと思うのである。

知らないことを知るということは、人生の中の大きな喜びの一つだからである。

何かがわかったり、何かができるようになると、とても嬉しい。

中学生のころ、ファッションに興味を持ち、本屋で色のチャートの本を購入し、

どういう配色の組み合わせが心地いいのか研究したことがある。

ファッションへの興味はあのころの数年で消えてしまったが、

あれはあれで楽しい作業だった。

今はほとんどファッションには興味はない。他に興味のあることが多すぎるからだ。

なんか突然、○○の謎を解きたいと思うのである。

それを解いていることだけで、人生はとても楽しいものになる。

「〇〇という商品を売ってもうけよう」とすると、謎だらけで、

その謎を解く鍵を探し、それを実行していくのは、この上なく面白い作業である。

しかも予算が少ない中で何とかしなければいけないとなると、さらに

面白くなるのだ。逆に金がありすぎると、失敗する可能性が上がるような気がする。

崖っぷちに追い込まれると、すごいアイデアが出てきたりするのだ。

それまで100万ないと無理だと思っていたのが、300円でできたりする。

だから、仕事は面白いのだと思う。

私の場合は、どちらかというとビジネスのほうが好きなのであるが、

人によって興味を持つ分野は全く異なるわけで、自分が興味をもった部分を

極めていけばいいだけの話だと思う。

謎解きの面白さは、解いていけば解いていくほど謎が深まることである。

アインシュタインが相対性理論を発表したことにより、

原爆が生まれ、放射能処理の問題が発生し、いまだに解決していないことなどは

その典型である。

そういう風に考えると、世の中も人生も楽しすぎるワンダーランドなのである。

単にせこいから自分で電池交換をするという側面も否定できないが、

こういう理由もあるのである。

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