京都アニメの放火事件はとても残忍な事件で犯人の責任は限りなく重い。
それはもちろん理解した上で思うのは、こんな姿になったものまで死刑にするのかという
ことである。私は死刑制度反対論者である。
歩くこともできない容疑者をがんばって治療してなんとか法定に立てるよう治療して
裁判を受けさせて、死刑にしようとしているわけである。
何のために助けるのか?事件の真相を聞くためだとか、確実に法律の
手続きを踏むためだとか、理由はあるだろう。
どう考えても過去の判例から考えれば、この犯人への刑罰は死刑以外にありえない。
日本の現在の司法システムに従うかぎり、彼は適切な治療を受けて、死刑になるわけだ。
犯罪を犯した人間には罪を償う義務がある。多くの場合は、過料だったり、
懲役だったりするわけである。
それらの罰を全うすれば、社会復帰してもいいことになっているのだ。
でも死刑制度だけは違う。死んでしまうから、それでおしまいである。
命をもって罪を償うことなどできるわけはないではないか?
罪を償わせるということは、殺すことではないはずだ。
殺したって、なんの解決にもならない。負の連鎖を生むだけである。
加害者が行った卑劣な行為と同じことを、国家がその加害者に行うのだ。数千年前にできた人類最初の法であるハンムラビ法典から、まったく進化していないのだ。
目には目を、歯には歯を、命には命をである。そんな古いしきたりを、現代まで維持しているということがどうかしているのだ。
ちゃんと考えないといけない。
死刑制度の問題はたくさんあるが、殺す人の気持ちを考えたことがあるか?
オートメーションで死刑になるわけではないのだ。
何人もの人が、その加害者を死刑にするために、苦しむのである。
法務大臣が判子を押す。押さないかぎり、死刑は執行されないから、この責任は重大である。
過去、何人かの法務大臣は、死刑執行の判子を拒絶したことがある。
その気持ちはよく理解できる。人の命を奪う行為だからである。
そして判子を押された書類は次々に役人の手を渡っていく、そこに関与した役人の
共同作業で死刑は執行されていくのだ。
犯人に、執行命令を伝達する人、死刑場まで連れていく人、首に縄をかける人、
踏み台のスイッチを押す人、死んでいるかどうかを確認する人、その遺体を
かたずける人、など多くの人が、この国家による殺人によって、
大きな精神的な負担を受けるのである。
すべてオートメーションにすればいいのか?
冗談ではない。
そのシステムを作る人は、どんな気持ちでそれをつくるのか?
まともな人間ができる作業ではないだろう。
ゆえに、ほとんどの先進国では死刑制度は廃止されているのだ。
なぜ、日本では死刑制度が継続しているのか?
その理由は簡単だ。
私がいったような実情が、ほとんど報道されないからである。
テレビの討論番組などで、こういうテーマを扱うことがほぼ皆無だからだ。
政府からの無言の圧力があるのと、そんなに視聴率がとれないこと、
結果的に左翼的な政党が同じ主張をしている場合が多いなどの理由があげられる。
まともな人間が、こういう事実をしっかり告げられて、どっちがいいかを判断すれば
少なくとも80%くらいの人が、死刑制度を反対するわけである。
ゆえに、ほとんどの先進国では死刑制度が廃止されているのだ。
死刑制度を合理的に維持するための理由はほぼ存在していないからである。
よく死刑制度を廃止すると凶悪犯罪が増えるという人がいるが、
そんな事実は世界的には存在しないのだ。
死刑制度を廃止した国の凶悪犯罪はむしろ減っているからである。
日本では意図的に、このような情報が開示されていないのだ。
理由はなぜか?
役人の仕事が減るからである。
彼らの天下り先が減るからである。
それが理由のすべてなのである。
経済問題が大きくなると、こういう問題は、どんどんほっておかれて無視されていくのだ。
こんな問題を扱っても、票が取れないという理由で
多くの国会議員は無視をしているのだ。
奴らは自分が当選することしか考えていないので、盆踊りに精を出しているのである。
日本という国は世界的にみて、かなりいい国だと思う。
だからといってすべてのことが無条件に素晴らしいわけではない。
部分的に問題はたくさんある。死刑制度を維持していることは、
その一例である。
この事件の犯人のしたことは、許されるべきことではなく罪を償わなければいけないが、それが死刑執行だとは私には思えないのである。