猫という存在について、人間に与える影響

日常の出来事

猫といっしょに生活したことがある人はすべて、猫は人間となんら変わらない

存在であることを知っている。機嫌がいい時も悪い時もあるし、

こっちの精神状態も理解してくれるわけである。

彼らの役割は、存在することである。

そこにいてもらうことである。

だから、よく街で「猫を探しています」という張り紙を見るだろう。

存在していなくなった時の、飼い主のパニックは計り知れないのである。

もっというと、元気でいてくれなくてもいいのだ。

病気をしていようが、怪我をしていようが、そこに存在してくれれば

いいのである。

それが猫なのだ。

ここで、考えてみる。人間はどうだろうか?

そばにいる人に対して、多くの人は何らかの役割を期待し、それに

応えてくれる人は評価して、そうでない人は切り捨てるということを

しているのである。

会社などはその典型である。金を稼がなくなった社員は存在する必要がないので

解雇されるのだ。

会社はそれでいいのかもしれない。

利益のために存在する組織だからだ。

だけど、家庭や友人関係であっても、同じように考えている人はけっこう多いわけである。

子供には子供の役割があり、配偶者にも同様であり、

その人の基準で、それが達成できなくなると、切り捨てたり、

暴力を振るったり、強制したりする人は、けっこういる。

そういう人の多くは、「あなたのためを思って私はいっているの」と

いうが、嘘である。自分のためである。

ものすごくたくさん、そういう人はいる。

ろくなものではない。

少なくとも、子供に対しては、猫と同じように、存在自体を愛さなければいけないのだ。

何もしなくても、そこにいてくれるだけで100点だと思うことである。

そういう親の子供に問題が起きることは稀であるが、

そういう親も稀かもしれない。

結果的に障害者を持った親はそういう境地に入る人が多いわけであるが、

全ての人が見習うべきことなのである。

それを実践したのが、キリストやブッダだったのだと思う。

最近ではマザーテレサも同様である。

猫は偉大である。

我々に存在を愛することの重要性を教えてくれているのだ。

存在を愛するということが、人生で一番大切なことなのである。

それを学ぶために、猫と暮らしてみるのも悪くない。

自分自身のことで考えてみると、過去に、7匹の猫と暮らしてきたのであるが、

彼らを超えるような関係を築けたといえる人間は数名くらいしかいないような気がする。

最初にいっしょに暮らした、黒猫はいまだに夢に出てきたりする。

なんか立派な猫だった。

心から尊敬している。

父親以上に彼から男としての生き方を学んだような気がする。

さかりがつくと、1週間くらい帰って来ず、泥だらけ傷だらけになって帰ってくる。

一晩だけ我が家で過ごし、また暫らく帰ってこない。

雌猫のために命を賭けて生きているわけで、

なんかかっこいいと思っていた。

我が家には8年いたが、ついに帰ってこなくなった。

彼を去勢しようなんて、考えたことは一度もない。

そんなことできるわけないだろう。

彼から学んだことは数多くある。

犬はガツガツしているから、あまり好きにはなれない。

犬と暮らすことができるパワーがあるのなら、人間の子供を育てるべきだと思う。

犬は人間の子供と同じである。

子供の代用品だ。

ペット業者の金もうけのために繁殖された犬を去勢して飼うなんて、

本当に悪趣味だと思う。

猫と人間の関係は横の関係である。友人なのだ。

ところが犬は主従関係である。幼児と同じなのである。

ネコは偉大なのである。

タイトルとURLをコピーしました