魚は傷みを感じないという説が有力であるが、ある程度は感じるという説もあるそうだが、
でもその可能性は高いのだという。
そんなことを考えたことはなかったが、
たしかに、釣り針が刺さっていても、
ひれが折れてしまっても、生き作りにされても、
そんなに苦しそうには見えない。
もしそうなら魚は、いわばターミネーターなのである。

食われて死んでいてく魚たちが、苦しまないように、そういう風に
進化したのであろうか。
哺乳類では考えられない進化である。
理屈では理解できないが、でもそれは事実なのだろう。
考えてみると、人間が感じる恐怖のほとんどは傷みである。
それも肉体的な痛みである。
やくざの小指落としに恐怖を感じるのは、その痛みが想像できるからである。
でも魚のようにまったく傷みがないとすれば、怖い話ではない。
まあ、そうなると多くの人は、痛みに気づかずにすぐに
死んでしまうのであろうから、そうならないために痛みを感じるように
哺乳類は進化したわけである。
現実の世界では、覚せい剤を打ちまくって痛みをなくし、
突撃して死んでいく鉄砲玉のような行為が存在しているわけであるが、
薬により痛みをなくしたことにより可能になるわけである。
心の痛みも、体の痛みも感じなくなるとすれば、
それはすでに人間ではない存在なのだと思う。
もしそういう視点にたって、捕鯨反対を叫ぶ人がいるとすれば理解できる。
あんなぶっといミサイルみたいな杭を打たれて死ぬわけだから、
苦しみ方も半端ではないだろう。
魚に見えて、ほ乳類なのだから。
麻酔を打つと痛みは消える。
ゆえに脳手術だってできるわけである。
痛みというものは、人間が人間であるために、とても重要な意味があるのだと思う。
痛みを感じなくなっている人は、
精神的であれ、肉体的であれ、人間である資格がないのかもしれない。