思考することと、現実について

生きる理由

考えたことが現実化するということに気づいていない人は多い。

飛行機で考えるとわかりやすい。

数百年前には飛行機は存在しなかった。

何人かが飛行機というものを思考したことにより、

それは現実化したのである。

まずは思考するところから始まったのだ。

現実世界は物理的な世界なので、思考が現実化するためには時間がかかるのだ。

10分のこともあるし、100年かかることもある。

それはケースバイケースである。

でも思考は必ず現実化するのだ。

タイムラグがそんなに必要のないことや、自分自身がちょっと変化すればOKな

ことであれば、それはすぐに解決するのである。

幸福になりたいと思考したとする。

それでは幸福とはなんぞやと考える。

つきつめて考えていくと、金だけあっても幸せにはなれないし、

金はやっぱり重要だと行き着くわけである。

つまり、ある程度金があって、それ以外のことが充実していると、けっこう幸福

なわけである。

そう考えていくと、幸福になることはそんなに難しくないことに気づくのだ。

でも、現実にはそうなっていないわけである。

なぜなのかを考えていくと、既得権を守ることに固執していることに気づくものである。

自分の既得権を維持したまま、幸福になることはできないようになっているのだ。

幸福になるためには、既得権を手放すことが重要なのである。

条件をつけないといったほうがいいかもしれない。

他人を変えることはできないのに、多くの人は他人を変えようとする。

「それがあなたのためなの」というが、嘘である。

いっている本人のためなのである。

ミュージシャンを目指す医者の息子に親が、「医者になるのがお前のためだ」

というのは、親のためである。本人のためではない。

思考は現実化するが、他人を変えることはできないのだ。

先ほどの医者であるならば、思考により息子を医者にすることはできないのだ。

できることは、思考により、自分の息子が黙っていても親である自分の後をついでくれる

ような立派な医者になることはできるのだ。

でも、息子がそれをみて、医者になるかどうかまではコントロールできない。

なぜなら、息子は自分ではないから。

いい息子をつくることはできないが、思考により、いい親になることはできるのである。

思考が世の中をつくっているのだ。

わかりやすい例でいえば、アインシュタインであろう。

彼が相対性理論を思考したことにより、原子力爆弾が開発されたわけである。

私が考えていることは、世の中のすべての人が幸福になることである。

そのために、自分はどのように変わるべきなのだろうか。

そういうスタンスで考えて、生きているのだ。

なんとなく感じるのは、私より若い人が、私の力により、生き生きと力を発揮でき

ているのを見ている時、一番幸福を感じるのだ。

そういう時には自分の経験値は役に立たない。

逆説的に役にたつことはある。自分が若いころ、大人につぶされたような場面の時に、

逆の行動をとることである。

小学4年の時の担任の教師は、牛乳が飲めない生徒に。無理やり牛乳を飲ましていた。

泣き叫ぶ彼の顔を今も覚えている。

多くの生徒は、それを喜んで見ていたものである。

現在であれば、犯罪であるが、当時は普通のことだった。

暴力もひっぱたくくらいは指導の範囲だった時代である。

それを考えると、世の中はかなりマシになってきたと思う。

多くの人が考える、理想の社会に近づいているのは間違いないと思う。

もしすべての人が、幸福とはなんぞやという共通のイメージを持つことができたら、

それを現実化するには数年もかからないと思う。

そんなに時間はかからないような気がするが、私が生きている間にはちょっと難しい

ような気がする。

結果的にその時は、国家という概念が消滅していると思うからである。

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