紀州のドンファン:悲しい人生

事件の深読み

何人も女性をはべらせて、豪邸に住んでいた金持ちのおっさんが、

おそらく殺人事件で殺されてこの世を去った事件があった。

このおっさんは、全財産を役所に寄付したという遺書が出てきたという。

これは本物だろう。遺族は「あの人はそんなことをする人ではない」と

いって裁判をしているそうだが、おそらく本物だろう。

なぜなら、そんなものを偽造でつくる理由のある人が世の中に

存在しないからだ。万が一、役所の人が、捏造でつくったとしたら、

それがバレたらクビになって、すべてを失うわけで、一方で

個人的に入る実入りはなしである。そんなことをするわけがない。

まあ本当だと思う。

つまり、彼が生きている時に、まわりにいる人のことは全く信用

していなかったということである。

それもなんとなく理解できる。

金目当てで集まっているということを、本人が一番よく理解していたのだろう。

だったら、生きているうちに、寄付をすればいいのにと思うが、

そうすると、身の回りの人がみんな離れてしまうのが嫌だったのだろう。

かなり身勝手な理由である。

積極的に寄付をしたいのではなく、周りの連中にあげるのが嫌だったのである。

そんな了見だから殺されるのである。

自分の思い通りに生きるということは、身勝手に生きるのとむしろ対局なのである。

本当に自分がやりたいことに向き合っているのか、うわべだけのやりたいことを

やっているかの違いである。

彼は女性が好きだといっていたが、本当はそうではなかったのだと思う。

性行為は好きだったのかもしれないが、女性は嫌いだったのかもしれない。

単純な欲望に従って生きることは、本当に自分のやりたいことではない。

例えば、運動をして筋肉痛になったとする。痛いので二度と運動をしないという

人もいるかもしれないが、そういう類の欲望に沿って生きることである。

本当にグルメの人は、太っていない人が多い。

それは食べ過ぎると、本当のうまさがわからなくなるからである。

適度に節制していないと、うまいものを食ってもうまいと感じないものである。

大盛りのカツカレーを食べた直後に、高級な大トロを十貫食べてもうまくないわけである。

紀州のドンファンに足りないものは、愛だと思う。

自分に対しても、他人に対しても、彼の行動からは愛を感じることはできない。

愛の対象は必ずしも人間に対してだけのものではなく、自然などに対するもの

でも同じだと思う。

人間の生きる根元は愛である。

こればっかりは、口で言われてもできるものではない。

愛というものは、与えられた経験がない人には絶対に理解できないものなのだ。

愛された経験がない人は愛することはできないのである。

悲しいけれど、人類の歴史上、一人の例外もいないはずである。

生きている限り、愛を全く受けていない人は存在しない。

ただし、その量が極端に少ないケースはある。

かつてヨーロッパで、乳幼児期に母親と全く接触せずに育てたグループと、

普通に育てたグループを比較したら、

母親と接触しなかったグループは、40歳までに半分以上が死んでしまったという。

ほとんどが自殺だったという。

そんなとんでもない実験をやるほうがどうかしていて、

現代であれば間違いなく有罪で実刑をくらうであろう。

愛はとても大事なものである。

なんでもかんでも相手のわがままを聞くことは愛ではない。

愛とは相手のことを思って行動することである。

時には嫌われることもあるかもしれないし、離れていくこともあるかもしれない。

動物の巣離れのように、突き放すことも愛の一つである。

ただし、精神的に準備ができていない人間を、単に20歳を超えているからという

理由で追い出すのは愛ではない。

そのあたりのさじ加減は難しいものである。

誰かの行動を見れば、それが自分勝手なわがままなのか、それなりに愛情をもって

やったことなのかは、けっこう簡単にわかるものである。

人間の発言する言葉に惑わされてはいけない。

言葉ではなく、態度で判断するのだ。

どういうことをしているのかという態度でみると、けっこう真実が見えてくるものである。

日本という国家はすばらしい国で、

本当に困っていると、基本的人権が尊重されているので、国家が

しっかりと面倒をみてくれるのだ。

生活保護で、毎月15万円程度をもらえるわけであるが、北欧の国並である。

資本主義国家では突出して高いわけである。

そう考えると、日本人は生きるという意味において、そんなに悩む必要はないはずなのに、

多くの人は悩んで生きているわけである。

これだけ自由な国家にいるのだから、もっと自由に生きるべきである。

紀州のドンファンも不幸だったかもしれないが、まわりにいる人も不幸だったと思う。

金のために我慢して、いたくもない場所にずっとい続けたのだとすれば、

それはとても不幸なことである。

会っていて、笑いあったり、笑顔になれない関係の人とは、すぐに

関係を切った方がいいと思う。

できれば1日のうち、50%くらいの時間は笑っていたい。

怒る時間は0で、あとは集中しているような人生は結構幸福であると思う。

笑うことができる環境を探すということは、そんなに難しくないはずである。

でも多くの人はそれを基準に選んでいないわけである。

私はそれが一番大切な気がする。

紀州のドンファンの冥福をお祈りする。

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