本気でプロレスファンだった私は、無論、八百長なんて信じていなかった。
心の底から格闘技世界最強はアントニオ猪木だと思っていた。
そんな私がはじめてプロレスを生で見たのは、中学生の時である。(1980年ごろ)
一人で、東京後楽園ホールへ、国際プロレスを見に行ったのである。

なぜ、猪木が所属していた新日本プロレスではなくて、国際プロレスだったかというと、
チケットが安かったからである。
たしか2000円くらいで購入できたような気がする。
後楽園ホールの前にたむろしていた、ダフ屋から購入したのである。

「おにいちゃん。窓口で買うよりこっちのほうが安いよ」
といわれて、3000円のチケットを2000円で買ったのである。
会場に入って最初に驚いたのは、プロレスラーの背が低かったことだ。
入り口のそばのグッズ売り場には、多くの中堅以下のプロレスラーが
立っていた。
マイティ井上は、たしか180cmと聞いていたのであるが、
当時160cmくらいだった私より、ちょっと高いくらいだった。

まあ170cmくらいだと思う。
確かに太ってはいたので、小太りのおっさんという感じだった。
でも、そのことは特に気にならなかった。はじめて見るものばかりなので、
他のことが気になって、それどころではなかったのだ。
チケットには、当時の国際プロレスのスターだった、
阿修羅原の顔写真が印刷されていた。

阿修羅原は、ラグビーの元日本代表で、鳴り物入りでプロレスラーに
なった選手だった。
チケットの顔写真の横に、WWAチャンピオンと書いてあったのであるが、
プロレスおたくだった私は、「いつのまにか原が伝統あるWWAタイトルを獲得
したのだろうか?」と素直にびっくりしたのであるが、
原は当時WWUジュニアヘビー級チャンピオンだったのであるが、
その誤植であったようである。
会場は6割くらいしか人が入っていなかったと思う。ガラガラではないが、
満員とは程遠い感じであった。
後楽園ホールは、プロレスの聖地とか今はいわれているが、当時の後楽園界隈は
ヤクザがたくさんいて、場外馬券売り場などがあり、本当にガラの悪い場所だったのだ。
まあでも、初めて見るプロレスは、楽しいものだった。
そこでエンジョイした私は、それから足繁く、後楽園ホールに通うようになった。
プロレスよりも、むしろボクシングのほうに興味が移ったので、
ボクシングをみることのほうがはるかに多かった。
最近ではほとんど後楽園ホールには行かなくなったが、
格闘技をみるには本当にいい場所である。